父のこと

朝、ラジオで、6月第3日曜日は父の日。作文を募集中ですと呼びかけていた。
応募するためではないが、30数年前に亡くなった父のことを思い出してみた。
わたしは、父、53歳のときの子供である。
ものごころついたときには、父はすでに老人であった。鼻下にチョビ髭、額はせりあがり、少し縮れた髪は白かった。
小学生の頃、級友のお父さんがみんな若々しいのがうらやましかった。
博識が自慢で、尋ねればほとんどのことに答えてくれた。
ことばも、歴史も、算数も。父が何でも解いて説明してくれるので、ついつい辞書や教科書を読み返すことがおろそかにもなった。
わたしが中学生、高校生になってまでも、父は娘から何かと尋ねられることに満足げであった。
わたしは怠け者で、努力家でなかったから、特に苦手だった数学はじっくりと考えもせずに、父に問題を投げていた。
さすがに高校生の数学となると、答を直ちにというわけにはいかないときがあって、なかなか返事がもらえなかった。
わたしは早々と諦めて床に就く。
すると、深夜、あるいは未明に、離れた部屋から、オーイ!と呼ぶのである。眠っている家族のことなどお構いなしの大声である。
寝ぼけた頭で、またか!頼まねばよかったとうらみながら父の部屋に行けば、布団の中で天井を見上げながら、昼間に尋ねた問題を解き始める。
なにもこんな真夜中に…と迷惑にも思いながら、その内に目も覚めて、父が説明する答をノートに書き込んでいく。
70歳近い父と高校生の娘がゲームに取り組んでいるようでもあった。
わたしはいま、その頃の父の年齢にさしかかっている。
この前、小学4年生が、兆、億という位の数字を書き込んでいるのに参加してみたが、なんともしどろもどろであった。

「父のこと」への1件のフィードバック

  1. やはりそうだったんですね。前中さんの文章は温もりを感じ、ブログの中で写真もなく
    こんなに引き付ける遠因はお父さんだったんですね。今の私の年齢から高校生の娘
    の数学を教える努力は並大抵のものでなかったろうとつくづく思います。
    高齢で授かった子供への愛情、それも娘ゆえ可愛いと心配がどんなにあっただろうか
    と、今の年で分ります。だから前川さんは今日の存在になったのですね。

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