野の道散歩

●歩き始め
ずいぶん長い間の巣籠もり暮らし。
人を招けず、会いにも行けぬ。
歩くことなどに興味はなかったが、脚の手術で3ヶ月の手術、入院の後、ソロリソロリと歩き始めた。
当初はリハビリ、リハビリと一途に思っての歩きだった。
杖をついて200mほどがようやくだった。
杖を手放してからはタブレットを持って出るようになった。
道端の草花や空の景色を撮る。
ちょうどひと休みになる。
歩いているうちに痛みが来たり、しびれて来る。
そんなときにカシャッと撮る。
ウヲーキングではなくて、散歩である。
休み休みの散歩は気分次第、脚の調子次第で、時には1万歩になる。
山里暮らし、誰にも会わぬ野の道散歩。
彼岸花が咲き始め、栗がはじけだした。

虹の向こう側に……

朝、急な買い物があって時雨の中をコンビニまで走った。
数分で買い物を済ませて帰る途中、右手前方に虹を見た。
走っている国道から脇にそれて、1つの集落へと続く道の上に、林と林をつなぐように虹が架かっていた。
虹の向こう側へと続く一筋の道を行けば、左手に墓地がある。
もう少し行けば右手に池。
池から人家が始まる。
戸数30の集落であった。
ほとんどが農業を生業としていた。田畑にはいつも人の姿があった。
小学生たちは列を作って学校へ4キロの道を歩いた。
下校のときは3人、4人連れだって帰った。
農作業中の人たちが腰を伸ばして鍬を支えにしながら、「お帰り!」と声をかけてくれた。
半世紀以上も昔の情景である。
今、田畑にめったに人の姿は無い。
集落に人が住む家は20数戸。小学生がいる家は1軒。登下校はスクールバスである。
わたしの生まれ育った家にも今は誰もいない。
林から林へと架かる虹。その下に一筋の道。
涙が湧いた。

奏者、交代。

カナカナ、カナカナ~。朝4時半から林の中で始まる輪唱が聴こえなくなった。
この頃音量が小さくなっていた。5時も過ぎてからチラホラと聴こえて来たり、であった。
夏のコンサートが閉幕したようだ。
カナカナ~に引き続いて、朝から終日、ニイニイ、チイチイ、ミンミンミーンとにぎやかだったのも、
ツクツクボーシ、ツクツクボーシに代わった。
早朝に聴こえるのは、キチキチ、ジージー、チチチチ……。
夜にはひんやり冷気の中で大演奏会である。
昼間の♪ツクツクボーシ、オーシ、ツクツク……は、
つくづく惜しい、逝く夏が惜しい、と聴こえる。

「ついでに……」

お盆。
お寺から棚経に来てくださる。
お盆のお供えはこのように、と丁寧に図解されたものが届いている。
参考にしながら、ふだん使っている器の中から小さなものを選んで、汁物、酢の物、あえ物も……。
チマチマとままごとのようなお供え物である。
毎年、そんな膳を見てもお寺さんは何もおっしゃらない。
お示ししたようにしてください、とも、こんな器では良くない、ともおっしゃらない。
小さな祠に窮屈に閉じ込めたような感もある父と母の位牌を前に、朗々と読経。
その後でいつも、ひとことふたことお話をしてくださる。
今回は、「ついでに……」。というお話。
わたしが脚の手術を受けて3カ月入院していたことをご存知で、
「回復の具合はいかがですか」とのお尋ねに「順調です」とお答えする。
「順調なのを良いことに、ついでに、はいけません。これをして、ついでにあれもと欲張ると、転んだり、つまずいたりします。ついでに、は要注意です」と。
10分間ほどの滞在の後、暑い中を隣家へと向かわれた。
隣も隣も、さらに隣も檀家である。

炎天、酷暑。

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朝4時半からヒグラシ蝉。
合唱はおよそ30分間。
カナカナ、カナカナがだんだん弱まって来る頃、
後は引き受けた、とニーニー、チーチー、ミンミンミーンも加わって、
午後ともなれば、暑さをさらにさらに引っ掻き回す。
蝉の抜けた穴も日毎に増えている。
紫陽花にアシビにマンリョウに、桧の幹の高いところにも。
葉っぱの裏に、茎に、いたるところに抜け殻がくっついている。
ただ、あちらこちらに、アブラゼミが仰向けにひっくり返っている。
連日の炎天、酷暑のせいだろうか?
7日とも言われる寿命は全うしたのだろうか?
ミミズも干からびている。
転がった蝉、ミミズに蟻が群がっている。

夏野菜

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ゴーヤ、きゅうり、なす、ピーマン、かぼちゃ、トマト……。
いろいろな夏野菜をいただく。同じ日に、あちらからこちらからいただく。
ときには、玄関先にドンと置いてある。
「助けてください。一度にたくさん実るのです」とことばを添えながら。
「ありがたい、うれしいです。助けてもらうのはこちらです」。
いただいた野菜をどんなふうに食べようか?
まずは生のままで。シャキシャキ、さっぱり、瑞々しさを味わう。
次いで、焼いたり、煮たり、炒めたり……。いただいた野菜は余さずに使いきりたい。
あれこれの調理を考えるのも面白い。
友人が、束にした青紫蘇を抱えて来てくれた。
さて、どうする?
ジュースを作った。味噌を加えて練ってみた。つくだ煮ふうに煮詰めてみた。
緑の葉が繁る紫蘇はまだまだある。
大きな花瓶にギュッと挿しこんだ。

ぐんぐん、すくすく。

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3兄妹弟が来てくれた。
おとうさんと一緒に。回覧板を届けに来てくれた。
たくみくん、ちいちゃん、かんたくん。3年生と1年生と幼稚園児。
あかちゃんのときから見ている。
あかちゃんのときは末っ子のかんたくんが大きかった。
お座りができるようになると、ちょっと貫禄さえあったなア。
今はすっきり、スマート。
おにいちゃんとおねえちゃんはサッカーを始めた。
朝、1列になって登校のとき、ときどき道の反対側から見送っている。
視線を合わせてはくれない。
上級生と登校中は緊張ぎみ。声をかけないでネ、と身体中で言っているようだ。
今日はおとうさんと一緒。
おとうさんと親しげにしゃべっているおばあちゃんだからかな?3人ともに盛んに話してくれた。
大きく口を開いて、おとなの歯が生えて来た、と見せてくれた。
3兄妹弟、ぐんぐん、すくすく成長している。

梅雨の中で

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4時半。ヒグラシ?
そうだった。毎年、夏の朝、未明、ヒグラシが鳴き始め、次々と誘われるようにカナカナカナと鳴き音が加わり、やがては林から林へ、およそ30分間の輪唱が続くのだった。
今日も太陽キラキラ暑くなるぞ~との前ぶれのようでもあった。
今はまだ梅雨の最中である。昨日など、襟元に薄物を巻き付けた。
過去を調べて最も遅い6月下旬の梅雨入りで、明けるのは7月下旬だろう、との予報である。
昨年、近畿地方の梅雨明けは7月6日だった。
今年も明けたか?と這い出て来たのか。
4時半。鳴いて見たけれど、カナカナカナ……が続かない。。
輪唱とはならなかった。

ヤモリ

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初めて見たヤモリの尾は短かった。
どこかで切れたか?そんな体形か?
尾の短いのが特徴なので、次に来たときに、あのヤモリだとわかった。
以来、初夏になるとやって来ていた。
1匹だったのが2匹になり、そして、昨年は3匹になった。家族ができたのだろうか?
なんだかグロテスク、と思っていたのが、毎年やって来るのを見ているうちに親しみもわき、
ヤモチャン今年も来たか、とうれしくもなっていた。
けれど、今年、あの尾の短いのはまだ現れない。
今年のヤモリは大小の差がない2匹。
昨年小さかったのが成長したのだろうか?新顔か?
ともに尾が長い。
台所の流し台の前の窓ガラスを縦横に這いまわっている。プクンとふくれた腹を見せて。
小さな虫を捕らえる姿はちょっと怖い。

わたしの場合

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そのとき、告げる方がいいか?と知人に言われた。
言動があやしくなってきたとき、もの忘れがたびたびになってきたとき、
この頃ヘンだと忠告してほしいか、見守っているのが良いか?と。
どうだろうなぁ……。
「この頃おかしいよ、と教えてもらいたい」と答えた。
もうすでに始まっているのかも知れない。
あれ、それ、あそこ、どこへいった?ここにあったのに……は、しょっちゅうだから。

出てくる。

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ごめん、と言いながら木の枝で蜘蛛の巣を払う。タオルが干せない。
そっちはダメ、と蟻の行列に水をかける。家の中に入って行きそうだから。
頼むから退いて、と念じながらポイポイと石ころを投げつける。ぶつけるわけではない。
車1台が通れるだけの道を蛇が長々とふさいでいる。
若葉がきらめき、まぶしい季節。
蟻や蜘蛛や蛇もトカゲも……。出てくる。出てくる。

終わりかた

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椿の花を箒でつつく。
乱暴なことを、と眉をひそめられたが、同様のことをする、と言う人もいる。
椿の花がポトリと落ちる。潔いとも、不吉とも言われる。
色褪せてもなかなか落ちない花がある。
落ちたけれども木の股に挟まったまま茶色くなっている花もある。
艶やかに、絢爛と咲き継いだ花が、ゆっくりと朽ちていくさまは何とも無惨。
だからもう、チョンチョンとつついて落としてやるのですよ、とうなずきあう。

新学期

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新学期が始まって2週間。
今年はずいぶん長く咲き続けた桜の下を児童たちが登下校して行った。
わが家の前は四叉路。下の道から、左の道から、集落ごとのグループがやって来る。
横断歩道を渡るときは、駐在所のおまわりさんが安全を確かめて誘導している。
駐在さんも、この春、この町に家族で赴任してきた新人さんである。
下の道からやって来るグループの中に、1年生のちいちゃんが、大きめの黄色い帽子を傾かせて、うつむきかげんに歩いている。
何かと声をかけたがる近所のばあさんが、道端の椿の木の下に立っている。大声で呼び掛けられたらイヤだなぁ、なんて思っているのかなぁ?そっと見ているつもりだけれど。
週末の朝、ちいちゃんの右手が腰のあたりで小さくヒラヒラとしたような……。
「おはよう」の合図だったかな?

満開

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例年より1週間も早く咲いたー、日記帳の日付は昨年の3月24日。
山の白い花の開花はいつも3月の終わり頃。山肌にポツンと白いものを見つけたと思う内、翌日にはパラパラと、その後にはまるで白いハンカチを撒き散らしたように咲いて、ああ、やっと山里に春が来た、と思わせてくれる花である。ニオイコブシともタムシバとも呼ばれる。
今年は4月に入っても白いものは見つけられなかった。
まだ?なぜ?どうした?遅いねぇ!
待っていた。
ようやく、白い花を見つけたのは4月9日。日に日に広がっている。やれやれ。
4月に入ってから雪が降ったりで、寒い日が続き、桜が今も爛漫と咲いている。
モクレン、椿、ユキヤナギ……。土手には菜の花、タンポポ、オドリコソウ。
山桜も咲いた。三つ葉ツツジも咲き始めた。
山里に春、満開。

ヘチョ、ホ、ホ~?

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洗濯物を干していたら、チョットコイ、チョットコイとコジュケイが呼ぶ。
デデッポー、ポーポー、春だ春だ、良い天気だと山鳩も騒がしい。
ヘチョ、ホ、ホ、ホ~?などと調子っぱずれは、たぶんウグイス。
半月ほども前、もう少し上手な鳴き音を聴いたのだけれど……。
今朝のウグイスは何ともヘタクソ。まだ幼いか?
せいぜい練習しなければなぁ。
林の木々の新芽がふくらんで、ようやく春の気配になってきた。

かも知れぬ。

dav

山里暮らし、不思議なことがチョイチョイ起きる。
ちょっと来い!と激しく呼びかける鳥はコジュケイだと判明した。
勝手口の履き物がまたしても無くなるのは、キツネかタヌキがくわえて行くらしい。
もう飽きたのか、この頃、勝手口の履き物は無事である。
近ごろまた、判明しないことが起きている。
林の木を何本か伐採したとき、頃合いの寸法に裁断してもらって林の中に置いた。どっしりと安定感のある椅子ができた。
ある朝、1つが横倒しになっていた。
前夜、風が強かったので倒れたのだろうか?昨夏の大嵐にも倒れなかったのに……。
ヨイショと起こして立てた。倒れないようにゴリゴリとねじ込むように立てた。
あれから半月。
また倒れていた。
前夜は風も吹かぬ穏やかな夜だった。
家の周りには、夜な夜なシカの糞が落ちている。木の皮や枝をかじりとった痕もある。
イノシシがゴロンゴロンと転げ回った跡だと教えられた場所もある。
その角、その牙で押し倒したのかなア?
モグラが持ち上げたとか?
かも知れぬ。
そんな山里暮らしである。

咲いた。咲いた。

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「もう来ていますよ」とお隣さんは言われたが、わたしはようやく今日(3月13日)、鶯の声を聴いた。
林には白いアシビがあちらこちらに咲き、玄関前にはピンクのアシビが満開になった。
節分の頃に赤い唇をほんのポチりと突き出したまんま、蕾がさっぱり開かなかった椿が、ようやく、ようやく、咲いた。
海近くに暮らす人からイカナゴや茎ワカメを煮たのをいただいた。
春が来た。

にぎやかになって……。

dav

赤いのや青いのが点々と。車の屋根にも車体にも。
鳥の糞である。
林がにぎやかになって、糞が盛大に落ちて来るようになった。
サッと拭いたぐらいではとれない。ゴシゴシとこすり落とさねばならぬ。
落ちた糞から芽を出し、育つのだろう。家の周りには赤いマンリョウ、ナンテンなどが増えていく。
青い糞はジャノヒゲだろうか?
草むらの中の実はあまり目立たない。よくぞ見つけるものだなぁ。青い糞の素になりそうな実は他には無い。
銀色が好みなのか?車は糞だらけである。
近くの洗濯物は汚されず、出入りする私の頭上にも糞を落とされたことは、まだ無い。
家の周りの赤い実は、今日明日にも食べ尽くされるだろう。
毎年の情景である。

たたけば、たたくほど…?

dav

餅つきに誘われた。
というよりは、餅つきをすると聞いて、「丸めるの上手です」とアピールしたので、先方さまは「どうぞ」と言わざるを得なかったかも知れぬ。
餅をつくのは今はいずこも餅つき機である。
杵と臼は登場しないが、それでも餅つき好きである。
餅をつきたい訳ではない。
餅つきをする日、餅つきが行われる場所に満ちた幸せ感が懐かしい。
山里育ちである。
正月はもちろん、村のお宮の祭りの日にも、家族の誕生日にも、隣近所の祝いごとにも、杵と臼で餅をついた。
学生時代、下宿先から帰省したら、隣家から餡こがどっさりまぶされた餅が届いたりした。
何かというと餅つきがあった。
1度に2臼も3臼もつく。
1つは、小さくちぎって丸める。
1つは、小豆餡をからめる。
1つは、そのまま平らにのしておく。後日、薄く切ってムシロに並べて干し、かき餅を作る。
小さな丸餅を作るとき、冷めない内に手早く丸めなければ、シワのないきれいな餅にはならない。
つきたてを指でクニュッとちぎりとるのはヤケドしそうな熱さで、母の手は真っ赤になった。
ちぎられたアツアツの餅を父は左の手のひらに載せ、右の手のひらでパンッ!とたたいて丸めていった。
「餅とこどもの頭は、たたけばたたくほど良くなる、と言い伝えられている」と驚かせたり、笑わせたりした。
父の手もとを見よう見まね。わたしは餅を丸めるのが上手になった。パン、パンッとたたくのがコツである。

本日の餅つきは、お雛さまの菱餅作りのためであった。
「丸めるの上手です」というわたしの出番は無かったのに、心やさしい友人は、丸める分をとりよけてくれた。
「さすが、お上手」とほめられた餅をみやげにいただいて帰った。

上天気

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立春の朝、赤い唇をちょっとつき出したような愛らしい風情に、春が来た!と浮かれた。
けれど、いつまでたっても赤い唇はおちょぼ口のまんまである。
わが家の2本の椿の蕾はまだ開かない。
裏山の白い馬酔木が咲き、玄関前の桃色の馬酔木も蕾を大きくふくらませている。
朝に夕に、咲くか?咲いたか?と見に出ている。
暖かい上天気が続く。
椿も桃色の馬酔木も、明日は咲くかなア?