春!?

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もしかしたら蕾?
雪に紛れているが、確かに蕾がふくらんでいる。
2度も植え替えられて、そのつど樹勢をそがれた梅の木が、それでも蕾をふくらませ、花を咲かせ、実をつける。
ことしも”春”を知らせてくれる。

走る子

dav

「今年も手を振りに来てください」
年賀状が届いた。
小学校のマラソン大会の日、毎回、応援に行く。
「がんばってるね」
「もう少し」
「がんばれ~」
手を振りながら声援する。
この里の小学校は各学年1クラスである。
今年は幼稚園児も走るそうだ。黄色い園児服が可愛い。
ヨーイ、ドン!
速い、速い。だいじょうぶか?あんなに駆けて。
校庭を出て、道路を走る。坂道を登って校庭へと戻ってくる。
走る距離は学年ごとに延びる。
黄色のヒヨコちゃんたちも、長い髪を背になびかせる上級生たちも、走った。走った。
チラッと横目に見留めてくれた子、うつむいて苦しげな子、キッと前を向いてひた走る子。
あの子もこの子も、大きくなった。たくましくなった。

満月

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1月21日、いつもに増して大きなお月さん。
午後8時の山里に人の姿は無い。
店も無いので、看板を照らす明かりも無い。店からあふれでる灯も無い。
路傍の街灯、人家の軒灯、窓の灯がポツポツとあるばかり。
お月さんといっしょに、家人を迎えに駅まで走った。

翌朝6時。
まだ暗い空にお月さん。
家人を駅まで送り、家へと戻った。
だんだんと東の山際が明るんで来た。
お月さんは、役目交代というかのように、白く淡くなった。

“西郷どん”の歌

dav

店で食事をしていたら窓越しに声がかかった。
幼なじみ、当時は上級生も下級生も一緒に群れ遊んでいたから、年は離れているけれど幼なじみである。
「良いところで」
「お久しぶりで」
「尋ねたいことが」
こどもの頃、遊びながら歌っていた詞を思い出そうとしている、とのこと。
「いちかけ、にかけ さんかけて……」
「ああ、おじゃみ(お手玉)のときの?」
あの歌に西郷隆盛が出てこなかったか?テレビで”西郷どん”を見ていてふと思い出して……。
♪明治十年戦役に~と歌っていたが、あれは西南戦争のことでは?
「たしか、西郷隆盛の名前も出てくるはず」
思い起こしながら繰り返し歌ってみる。
あった。
♪わたしは西郷隆盛の娘、のくだりもあった。
半世紀、いや60年も前、山河遥かな山里の小学生たちがお手玉をしながら”西郷どん”のことを歌っていた。
西郷隆盛は誰?と親やおとなに尋ねなかったのだろうか?
ただ、お手玉をしながら西南戦争を歌っていた。
歌詞は長く、詞の終わりまでお手玉を続けていることは難しかった。
歌詞の終わりの合図、ドン! までお手玉を落とさずに続けることができたら誇らしかった。
老女二人で声をひそめながら歌いあって、胸のつかえがほどけたような気もしたけれど、正しく歌詞を思い出せたかどうか、定かではない。
またしてもモヤモヤしている。

モヤモヤ

dav

ホッチキスが無い。ハサミが無い。
他に誰もいない。無くしたのは自分である。
ついさっき手にしたものがなぜ見つからぬ。
焦るままにもうひとつのホッチキスを取り出そうとしたら、ちゃんと元の場所に納まっていたりする。
時間がたっているときは、自分の行動を思い出してみる。歩いた跡をなぞってみる。
もしかトイレの棚か?とのぞいてみる。
小さなハサミひとつ無くても困りはしないが、思い出せない自分が腹立たしい。
あった、やっぱりここだった、と喜び安堵するときもあれば、日を経て、なぜここに?というときもある。
いまだに見つからぬモノたちもある。
今、気になっているのは、本の中の数行の文章。
そうだ、そのとおり、と思って読み進んだ。
後日、ふと思い出そうとしたが、ことばのひとかけらも思い出せない。
正月前に3週間の期間で借り出した9冊の本の中の文章だった。
あれかこれかとページを繰るが、本のタイトルも思い出せない。
返却日が迫っている。
モヤモヤしている。

花束

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隣家のことちゃんは小学1年生からピアノを習っている。
ことちゃんのお母さんが少女だった頃に習っていた先生のところへ、お母さんに送迎してもらって通ってきた。
ピアノを習い始めたことちゃんに約束した。
発表会にはお花を持って行くよ、と。
発表会は毎年12月初めの土曜日にある。
初めての年、バラの花を1本持って行った。
たった1本?と思っただろうなぁ。
翌年には2本、翌々年には3本、そして今年は6本持って行った。
白いカスミソウと一緒にまとめてもらったら、ちょっとした花束になった。
ことちゃんは来春には中学生になる。
小学校卒業を機にピアノも卒業するらしい。
10本、20本の花束を持って行く日を楽しみにしていたのだけれど……。

自惚れモミジ?

dav

わが家の1本のモミジ。30数年前に小さな木を買い求めて母と植えた。
今では高く大きく育って枝葉を広げ、築30有余年の朽ちた家を覆い隠してくれている。
ご近所の人が、あなたのお母さんのお葬式の日、紅葉がとてもきれいだった、と言ってくださる。
17年も前のことである。
晩年の母は家の周りを杖をついてトボトボと歩いていた。
木も花も、きれいきれいと誉めてやれば、きれいに丈夫に育つ、と言っていた。
母が亡くなった年齢に近づくにつれて母の口ぐせが思い出され、仕草が似てくる。
朝に夕に、杖をつきつつモミジを眺めに出ては、きれいきれいと賞賛している。
モミジはすっかり自惚れて、赤あかときれいになったのかなア?

紅葉の里

dav

めっちゃ山がきれいや~。
声は若いカップルの男性から。
山の麓の川の堤から中腹へ、頂へ……。
低くてなだらかな山々の紅葉景色が、小さな里を取り巻いている。
日用の品々を売る店が一軒も無い。
めっちゃきれいな紅葉の日々がある。

ノコノコと

dav

3ヵ月余り、冷暖房完備という日々であった。
11月のわが家は、もう凍てつく日も間近。心身ともに適応できるだろうか?と案じたが、幸い暖かい日が続いた。
日に日に紅葉景色が鮮やかになっていく。
葉が落ち、点々と残る熟柿が青空に映える。
玄関を開けたら柿が落ちていることがある。
柿の木は玄関の傍らには無い。風に飛ばされても玄関には届かないだろう。背の高い椿や桜の木が遮っている。
半分かじったような穴が空いた柿である。玄関まで運んだのは、もしかするとカラスかも知れない。枝でしょっちゅう、ギャーギャー騒いでいる。
車の運転にもなれてきた。
昨夜は峠で4頭の猪と出会った。
車に体当たりをされた、と友人がへこんだ車体を見せに来たことがあった。
ちょっとひるんだが、ライトの中を左手の山から出てきて、道路を渡って、右手の山へと入って行った。
小さいのも居た。家族だろうか?
お隣さんに話したら、わたしが出会ったのも4頭でした。家族かも知れませんね、とのこと。
チョットコイと呼ぶ鳥が居て、柿を届ける鳥?も居て、ノコノコと車の前を家族で横切る猪も居る……、
そんな暮らしが待っていた。

緊張

3ヵ月ぶりに車の運転をした。
買い物も温泉にもお連れしますよ、と隣人が声をかけてくださる。
自分でできるはず、と思いながら、買い物に、温泉にも、連れて行っていただいた。
久しぶりに運転席に座った。ちょっと緊張。
朝6時。
ライトを点けて走り出した。
対向車も後ろに続いて来る車も無いのに、スピードが出せない。
のろのろと走り、峠を越えて駅まで送る。
たった5分の道のりなのに、肩、腕がこわばった。
ともあれ、日常生活で自分でできることがだんだんと増えていく。

これから

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少~し、山々の紅葉が始まっていた。
11月4日、自宅に戻った日。
玄関脇の大きな檜の根元にツワブキが満開になっていた。
ツワブキの傍らにはマンリョウの実がだいぶん赤くなってきていた。
小さなヤブコウジも赤い実をつけている。
マンリョウは真冬に野鳥たちが実をついばみ、食べつくし、プイプイと糞を落とすものだから、
家の周りにたくさん育っている。
ナンテンもまだ真っ赤とは言えない実をびっしりとつけている。
1本のモミジの木がまばらに赤く染まっている。
モミジに押しのけられるようになりながら、サザンカがピンクの花をつけている。
わが家の周りの秋景色は、これからこれからきれいになる。

明後日

少し晴れかけたけれど、まだまだ濃い霧がある。
空には、輝かぬ白い太陽がペタンと貼り付いている。
わが家のあたりは、きっと、青空に太陽が輝いているのだろうなぁ。霧の降らない里である。
11月。そろそろ紅葉が始まっているだろう。
紅葉の名所も名木もないけれど、
山も川辺の土手もひとつながりになる、里全体の紅葉景色が
優しくて、おだやかなやすらぎの時間をくれる。
あと2日、わが家に帰る。

太陽の脚

湯を沸かし、野菜を刻み、卵を焼き……。慌ただしくもあり、満ち足りているようでもありのふだんの朝のひととき。
この頃は、朝陽の昇る景色を見ている。
今朝は山の上に灰色の雲がかかっていた。
雲と空の境界は橙色に縁どられ、橙色の縁どりから放射状に太陽の脚が伸びている。
出るぞ、昇るぞ、太陽神のお出ましだぞー!そんなふうだな、と今朝は見た。

日の出

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廊下の行き止まりに椅子が2つ。
毎朝晩、そこに座って話していた人たちが退院していかれた。
空いた椅子に座れば、向かいの山から太陽が昇ってくる。
まだ太陽が見えない頃は、山々の尾根の上あたりの雲は、柿色や橙色に染まっていた。
しばらく柿色の空を眺めているうちに太陽がのぞき始めた。
目をつむりたくなる眩しさがはじけ、光が広がって行く。一帯の柿色がだんだんとくすんできた。
太陽がスルリと山の端から抜け出たのは、10月29日6時37分であった。
日の出の瞬間を見守るなんてことはめったにない。
母は毎朝、自分流の体操をしながら日の出を迎えると、パンパンと手を打って、
ああ、お日さんはありがたい、と呟いていた。
あの頃の母親の年齢になっている。
体操もしなければなア。

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一筋、ひとかけらの雲も無かった青空に、すーっと白いものが現れて、綿菓子みたいになった。
それから……。そっと箸でさばかれたように広がっていった。
雲は湧くもの。雲は生まれるものなんだなア。
親羊と寄り添う子羊に見えていた雲が、ほんのしばらくしたら、ふわふわーっと千切れて、形が変わっていった。
なんだか、羊の刈り取られた毛がぽかりぽかりと浮かんでいる景色になった。

病室の窓から空を見上げている。

やったね~。

部屋から霧を眺めていた頃、若い彼女は無事に城趾に登り着いたようだ。
朝陽を帯びた霧の海、ポカリポカリと霧の海から頂を出している山々を撮影している。
グルリと動画もアップされている。
やったね~。
4時起きと言っていたけれど、ちゃんと自分で目を覚ましたんだねぇ。
昔、私も充分に若かった頃、雲海の撮影に、遠く三瓶山まで出かけた。
自分で撮影するわけではなかった。
早朝、ドンドンとドアを叩かれ、まだ暗い山道を車で登って行った。
壮大な景色に感動したが、起こされ、車に押し込められ、連れて行かれたに過ぎぬ。
それも仕事で。

見えた?

dav

今日もまた、深い霧の朝。病室から霧に煙る木々を見ている。
車で20分離れた私の暮らす里にはめったに霧は降らないけれど、ここではたびたび霧の朝を迎えている。
いつもの秋の今頃なら、晴れ晴れとした青空に深呼吸をしているだろうなア。
ずうっと長期にわたってリハビリにかかわってもらっている若い彼女は、今日の早朝から、カメラを持って古城趾に登るのだと言っていた。
眼下に予期していた霧の海は見えただろうか?

dav

当分の間、病院暮らしです、と知らせたら、目は不自由ではないのだから、と3人の人から本が届いた。
本そのものの重量も、内容も、軽いものが良かろうと文庫本や写真集や絵本が届いた。
入院前の自宅に宅急便で届いた。
入院してからは、手提げ袋に本を詰めて持ってきてくれる人もある。
これまで、読みたい本は自分で選ぶばかりであった。自然と傾向が同じようなものに固まっていた。
この度の入院で届いた本の中には読んだものもあって、
彼女も同じ作家に興味があるのだなア、と頬が緩んだりした。
ほとんどは自分で手にとることが無かった本であった。
狭い病室での日々、眠れぬ時間は本を読む。
本の分野が少し広がった。

霧の朝

ただ一面に立ち込めた
牧場の朝の霧の海……

霧の中に朝陽もあって、乳白色の霧が少しピンクや朱色がかって見えるところもある。
手近な木々は薄黒く、その向こうに見えるはずのおだやかに丸い形の山々が、今朝は見えない。
この町のシンボル、今は城跡だけになっているが、別名、霧ヶ城でもあった。それほど霧が多い。
車で20分、わが家のあたりは今ごろ、朝陽が晴れ晴れと照っているだろう。
めったに霧の降りぬ里である。