うぐいすが来た。

あれ?かもしれない…。
やっぱりそうだ。うぐいす初音。ほーほけきょとまではいかないけれど、ほほ~、とか、けきょと言ったようにも聞こえる。
今春はちょっと遅かったようだ。凍てつく日々が多く長かった。
このところのおだやかな陽気に誘われて訪れてくれたのか。
思わず頬が緩む。
うぐいすは、ふた声鳴いたところでぴたりと鳴くのをやめてしまった。姿も見えない。出し惜しみ鳴き惜しみせずにほーほけきょと歌ってほしいけれど、
春の初めのうぐいすは、けちをつけて申しわけないが、歌うのが下手なのです。
春がだんだんと深まるにつれて、うぐいすは歌唱力を増していく。いつものことです。
今朝、ひと声、ふた声鳴いたのは、春になりましたね、のごあいさつ。これから歌を磨いてきます、もうしばらくお待ちくださいと言ったとか、そんなことは言わぬ、とか。
うらうら陽気に誘われて、思うこともなんだか春霞みがかかったようです。 

虫だって、人間だって

啓蟄も過ぎて一気に春めく日々。
あの、凍てついて、終日、はらはらひらひらと雪やみぞれが舞っていた毎日が嘘のようにも思える。
まだ裸ながら、木々の枝を鳥たちが飛び回っている。鶯の声は聞こえないけれど、いろいろな鳥たちが春を告げて歌っている。
枯れた茅をかきわければ、やわらかそうなよもぎが緑の葉を拡がらせている。

いかなごのくぎ煮をいただいた。それも3人の方から。
毎年、あの方からもあの方からもいかなごが届く。
はやばやと届けてくださった3人のうちお2人からは
このたび初めていただいた。
生姜が効かせてあったり、山椒の実がいいあんばいだったり、どれもおいしい。
いつもの年のようであれば、いかなごはこの先も届けていただける。

春、しあわせ気分、満腹。

弥生三月

今日は昨日に続く日で格別に突飛なことはないけれど、弥生三月という呼び名は優しく愛らしい。
二月、きさらぎ、如月と書く。いやいや「着、さらに着る」という説もあって、山里暮らしの身にはまさにそのとおりでありました。
明けて3月1日、待ちかねたその日は、うらうらと弥生の風が吹きわたるというわけでなく、
薄日は射しながら、竹藪をざわざわと騒がせ、
電線をビュウビュウと唸らせる風が吹き荒れております。
テレビの気象予報士さんによれば、春一番が吹いたとか、春一番というにはちょっと条件が整わないとか、なにやら細かいことを言っておりますが、
なにはともあれ、弥生、春一番、などのことばを耳にし、目にすることが、ことのほか心はずむのであります。

は~るよ来い。

やまざとに春の訪れは遅い。みぞれが降り、雪が舞い、凍てつく日々が続いている。
けれど、見渡せば、山の木々は冬枯れの色とは異なり、少し赤みや白みをおび、なんだかまろやかな形にも見えるのは、
しっかりと着実に、春を迎える準備ができているということ。
はてさて、自分は?
寒さのせいで動けないと言い訳の中に怠惰の毎日。
田畑の土起こしもそこかしこ。
もういいか~い?春はそこまでやってきている。