木の芽煮

山椒の花、新芽を煮るのは母の真似である。
母は毎年、山椒の小さな芽が出始めると朝に夕にその成長の様子を確かめていた。摘みどきをしくじらないために。
伸び過ぎた葉は硬い。歯触り、舌ざわりがよくない。小さすぎる葉は軟らかすぎて糊のようにベタッとなる。
ちょうどの摘みごろをピタリと押さえたいのだ。
毎年、思案顔をしながら日々を過ごし、その日が来ると終日摘んでいた。
トゲに刺され引っ掻かれ、痛っ、アイタタと小さな声をあげながらせっせと摘んだ。
晴れていても雨傘を持って出るのは、高い枝をJの字の形になっている傘の柄で引っかけ、引き下ろして葉を摘み取るためだ。
そんな様子を見ながら、わたしは手伝おうとしなかった。
煮ているとき部屋中に満ちる香りは頭をジンと痺れさせるようだったし、ピリッとする味も、こどもにはおいしいものではなかった。
おとなになってからも一連の摘み取り作業は手伝わなかった。
ただ、母は、ほぼ煮あがり完了という頃、わたしに味見をさせた。
ちょっとまだ味付けが薄いという感想がいつものことだった。
そうだろうという表情で、母は少し醤油を足した。
母は、完成した木の芽煮をつくだ煮やジャムの空き瓶に詰めて、十数人もの方々にお届けしていた。
母が亡くなってから、山椒の新芽が出てくると、たぶん今が摘みどき!?と判断して、摘んでは煮ている。
山椒の花と新芽を煮るという、年に一度の春の作業を母といっしょにしなかった娘には、あの頃の味の再現はむずかしい。
まだまだ、ひとさまに差し上げられるようなものにはならない。

「木の芽煮」への1件のフィードバック

  1. 山椒(さんしょう)と言えば前中さんの「アイタタ」の棘に刺された思い出と宮崎民謡の庭のさんしゅうの木の歌を思い出す。
    宮崎民謡の木は「山椒」なのか「サンシュユ」の木なのか本当はどちらの木なのだろうかと思う。どうも軍配は山椒の木の様だがこの「アイタタ」の棘のある木に鈴を掛けたのだろうか?前中さんはどう思いますか?

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