手作り

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かがめず、靴下が履けないときには履きやすくする道具を。
着替えのズボンが引き上げられないときにもその対策を。
ふくらはぎも足首も痛い、と言えば、靴の中に、土踏まずや踵の位置にひとくふうした中敷きを入れてくれる。
クリップや紐やボードなど、手近にあるものを切ったり、貼ったり、結んだりして、便利な道具を作ってくれる。
作業療法士、理学療法士、そんな資格を持った若い人たちが、この太った老人の脚をなでたり、押さえたり、引っ張ったり、さまざまな療治を施してくれたうえに、便利な道具を手作りしてくれる。
こんな便利なものが市販されていますよ、と勧められるのではない。
ボードをカットする際の下書の線がゆがみながら残っているのも、なんだかうれしい。

運動②

72年の生涯で今ほど運動をしたこと、させられたことが無い。
股関節の手術後ちょうど2週間(8月21日)である。
ここ2、3日のリハビリメニューのキツいこと。
手術翌日には車椅子に乗せられ、立てと言われても、丸太ん棒のような脚は動かぬ。
2日目にはリハビリ専門病棟に移された。以来、土曜も日曜日もリハビリ漬けである。
前中さんに6人のスタッフが組まれています、とのこと。
手厚く、丁寧に筋肉を揉みほぐした後には、押す、伸ばす、引っ張る、曲げる。
歩け、跨げ、10回繰り返しましょう!の掛け声に囃され、励まされながら動く。
なにせ、動くことに興味の無かった人生。
どこをどう動かせば脚が伸びるのか?
頭が命令しても心は痛さにおびえ、脚はどう動けば良いのか迷うようだ。
こんな72歳を孫のような若者たちが、誉めておだてて、励ましてくれる。
華奢な肩にこの身の太い脚を乗せて、力を抜いて!との掛け声である。
気の毒で思わず力が入ってしまうのだ。
おかげで、日に日に脚の動きが良くなる。
車椅子を卒業し、歩行噐となり、短い距離なら杖だけで歩けるようになった。
栄養士の管理のもとに作られ供される食事。
毎朝の検温、血圧チェック。
ドクター常駐。
リハビリは3時間を超える。
いや~。これほどぜいたくな運動の経験は二度と無かろう。

運動①

小中学校9年間は、片道およそ1里を歩いて通学していたけれど、
72年の生涯は、走らず、泳がず、跳ばず、動かずの歳月であった。
運動会で目の前が開けていることは無かった。いつも何人かの背中を見て走った。
マラソン大会のときは、たまたま?腹が痛む、風邪気味で……と親が届けてくれた。
高校3年、最後の年ぐらい、と参加したら、ゴールしたとたんに気絶した。
気がついたら朝礼台の上に置かれていた。ビリではなかったらしい。
大学時代の体育の時間は遊びのようなものだった。
アメフトの監督であった先生は、女子には寛大寛容で、走れとも跳べとも言われなかった。
冬、キャンパス外のスケート場での授業は、行ったという証明書があるだけで良かった。
仕事に就いてからは取材の旅があり、ときには山道を歩き、ときには岬の突端に行くこともあったが、
後に酒、料理、温泉という楽しみが待っていた。
老いてからの日々、周囲にはせっせと歩いている人を見る。
ヨガにプールに体操に、グランドゴルフに……と熱心な人たちが多い。
興味が湧かぬ。

モクモクと

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いつもの年は、
馬酔木、梅、コブシ、桜、椿などの花ばなが、わが家の周りに順番に咲いて、
春が訪れ、春が拡がり、春が深まっていく景色を見せてくれる。
今年は何もかもいっせいに咲いた。
コブシも桜も1週間も早く咲いた。
もうはやツツジも木々の間あちこちからから顔を出している。
足元には、すみれ、タンポポ、れんげもツクシもヨモギもいっぱい。
シャガも咲きだした。
にぎやかな春である。
山桜の花びらが舞い落ちてくる。
モミジの葉がだんだん大きくなってきた。
新芽、若葉の色で向かいの山肌はモクモクと盛り上がり、モアッと霞んでいる。
山里に春。

かんぴょう

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節分に巻き寿司を丸かぶりする、なんてことをやりだしたのはいつからだろう?
今年は、福の神がおられる南南東に向かって、黙って丸かぶりをするべしとのことである。
売り場には、鮪、海老、サーモン、穴子、卵などを巻き込んだ豪勢なものも並んでいた。
丸かぶりできるサイズではない。
毎年、セトさんがおいしい巻き寿司を届けてくださる。今年もきちんと包丁を入れて届けてくださった。
ひときれづつ、箸でおいしくいただいた。
遠足も運動会も、祭りも法事も、わが家の行事、イベントのつど、母は巻き寿司を作った。
具は、卵、椎茸、かんぴょう、高野豆腐、人参にほうれん草か三つ葉といったところ。いつも同じだった。
巻き寿司を作る母のそばで見ているのが好きだった。
何本も何本も巻き終えたら、等分に切って皿に並べていく。
手早く切り分けながら、ひときれをまな板の端によけてくれるのが目当てである。
甘く煮付けたかんぴょうが長めにはみ出しているのがうれしい。
端のひときれはちょっと形も崩れていて、酢めしもジュワッと甘かった。

コンビニ

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1軒あったコンビニが閉店になった。
昼食時など、大型トラックから軽トラック、赤や青やシルバーのきれいな車が、広い駐車場にいっぱい停まっていた。
年末、出入口の扉に手書きの貼り紙があった。
それから1ヶ月もたたぬ間に、特長のある看板も、店舗の装飾も、ことごとく撤去された。
空っぽの駐車場と四角い建物が周囲の枯れ葉色に馴染んでしまっている。
私はまだ車に乗れる。
遠くへは行けないし、夜の運転も控えているが、20分先の大型スーパーまで買い物に行ける。
田畑作業の合間に、エプロン、手甲、帽子の汚れた衣服のままで、おでんやパンや飲み物を買いにコンビニを利用していた人たち、往復の時間や着替えも面倒くさくなっただろうなぁ。
何よりも、自転車や杖にすがって買い物に来ていたこの里の高齢の人たちの不便、不安を思う。
弁当の宅配をします。ついでに醤油やトイレットペーパーなど、他の商品も届けます、とチラシが入っていたので、私自身、やがてはお世話になれる、と頼みに思っていたコンビニが閉店した。

新年

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2018年、平成30年、戌の年の初日の出。
お日さんは向かいの山から飛び出して来られた。
この山里で正月元日の日の出を初めて見た。
煌々と輝きを拡げながら、それはそれは元気なお出ましだった。
お日さんはありがたい、母の口癖だったが、まさに、拝みたくなるようなまばゆさだった。
正月2日も日の出を待った。
ポンと出たお日さんは、すぐに雲の中へと入って行かれた。
明けて3日は雪の朝。初雪。
ヤブコウジ、マンリョウ、ナンテンの赤い色ぐらいで、正月と言えど華やぎの色の乏しい山里である。
72歳、何回目かの干支を迎えた年齢となったからか、この3が日のお天気こそ、まことに正月にふさわしい。

倒れている?

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友人夫妻と昼食を済ませて帰って来たら、[心配してました~]と両隣の奥さん二人。
[えっ?]、多分、わたしはヘラヘラと笑顔で応えた。
回覧板を届けに来た。車があるし、電気もついているので、声をかけたが応答が無い。
電話は留守電になっている。
心配になって家の中へ入ったとのこと。
[え?なんで?]
まだ事情がよくつかめていない。
見れば、踏み台に使われたらしい丸椅子。
玄関脇の小さな窓が網戸になっていたので、そこから入ったとのこと。
わたしの胴体はとても入らない窓である。
わたしの娘ほどの年齢で、スリムな体型の西隣のシミズさんが椅子に乗り、窓から身体をこじいれて、ドキドキしながら、台所から寝室、トイレ、物置も見て回ったが、倒れている人の姿は無かった。
何があった?どこへ行った?どのようにして行った?
東隣のタケダさんと話しているところへ、気楽に[こんにちはー]と帰って来た。
[心配してました]と心からの声に、[え?どうかしました?]と応じるヘラヘラ顔に安心したり、腹も立ったのではなかろうか?
このところ、腰痛だ、神経痛だと脚を引きずり杖をつきながら、ヨロヨロと歩いている。
外出はほんの近くでも車に頼っているのに、車がある。室内に電気がついている。電話に出ない。
これは不穏。
動けない状況にあるのだろう。確かめなければ、救わなければと行動してくださった。

敬老の日である。
周りに心配や迷惑をかける71歳の老人であることを肝に銘じなければならない。

このごろの話題

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ツバメがね~、
ほとんど巣立ったのに一羽、発育が遅れていて、
その子のことが気になるらしく、
兄弟かなかまが集まって来るのよ。
おとといも、きのうも…。

この間ね、
蜂かな…?大きな虫がバッタをくわえたものの重いのか、ジタバタしてたら、
トカゲがバッタを横取りしてたわ。

今年もヤモリが三匹、
台所の窓ガラスをウロウロ這っている。
たぶん、ファミリーだと思う。
一匹は小さいし、一匹は尾が切れていて、それは一昨年も昨年も来ていたもの…。

山里暮らしも十数年となったばあさん二人のこのごろの関心事である。

ソウタの笑いが止まらない。

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将棋連勝中で話題の人物、藤井聡太くん14歳。おだやかな笑顔の少年である。
身近にソウタがいる。甥の息子。太の字にサンズイありの聡汰1歳9ヵ月。保育園に通っている。
満1歳で初登園の日々はママと離れるのが辛くて、涙、涙…であったが、しっかり者のお姉ちゃんが通う保育園でもあり、そのうちお友だちもできて、きげんよく通えるようになった。
14歳のソウタくんの連勝が注目されているある日、ママが初めて2泊の出張に出ることになった。
1歳9ヵ月のソウタはいつもと変わりなく保育園に通い、パパ、お姉ちゃん、じいじ、ばあばとお芋を掘ったり、夜もパパとお姉ちゃんと並んで寝た。
2日後、保育園のお迎えにママが来た。
あれっ?もしかしたらママと会うのは久しぶり?と思い出したのか……。
ソウタが笑いだした。笑って、笑って、大笑いが止まらない。
うれしくて、うれしくて、仕方がなかったのだろうな~。

手持ちぶさた

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手持ちぶさたのときにおすすめする、とテレビでコマのようなものを紹介していた。
薄っぺらで、旋回しているものを指先に載せていれば、手持ちぶさた解消だと言っている。
若もの、こどもたちが回り続けるコマを指先に載せて楽しげである。
こどもたちは、若ものたちは、手持ちぶさたなのか?
わたしは、ぼ~んやりしているときが多いが、手持ちぶさた…、ではない。

どうした?

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ちょっとちょっと!と悲愴感さえ漂う叫び声に、どうした?なぜ?と問う。
いつもはもう少し声に余裕がある。歌うように、呼び掛けるかのように、ちょっと来い、ちょっと来い!
桜も終わり、若葉がだんだんと濃い緑に変わっても、まだ、ぐずぐずのろのろのこの家の主のことがもどかしいのか?
ちょっと来い!ちょっと来い!ちょうーっと来い!!とコジュケイが絶叫する。

春だから

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ぴーんよろ、ぴーんよろ、鳶が鳴いて
ほろほろ、ほーけ、ほーほけきょ、けっきょけっきょと鶯が歌い
ちょっと来い、ちょっと来いとコジュケイが呼ぶ。
馬酔木、椿が咲いて
遅かったコブシ、桜も
ようやく、ちらほらり。

長~く、暗い
冬ごもりから
そろそろ這い出さねばなぁ。

無い!

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カギが無い。ポケットに無い。バッグにも無い。手提げ袋にも無い。
もう一度さがせ、と友人が言う。
2つのポケットには入ってない。
バッグも袋もすっかり空っぽにしたけれど、カギは無い。
カギは更衣室ロッカーのカギである。ロッカーのカギを返さないと靴箱のカギを渡してもらえない。
「左手は?」と向かい側から女性がニッコリ。
あった!左手首にブレスレットのように巻いていた。
「年をとったら誰にも覚えがあること」。友人がズケッと言った。
ああ、おデコに眼鏡を押し上げたまんま、メガネ、メガネ、どこに置いた?と探していたな~、父。

花束

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ことちゃん4、はなりちゃん2、りこちゃん1。
作文教室のこどもたちのピアノ発表会の日、わたしから贈る花の本数である。
「初めての発表会にはお花を1本持って行くよ、10回目になったら10本持って行くよ」、
こどもたちに約束をしていた。
さすが、4回目となることちゃんは、白鳥の湖をふんいきも良く弾きあげた。
2回目のはなりちゃん、1年たったらこんなに上達するの?
りこちゃん、1回目とは思えなかった。しっかり弾けたね。
たった1本、たった2本。かすみ草を加えたけれど、小さすぎる花束。4本は少しは花束らしくなったかな~?
大きな花束を贈れる日を楽しみにしよう。
杖に頼らず、背筋をシャンと伸ばして、花束を抱えて聴きに行かねば!

日に日に

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秋になってもなお暑い日が続いたので、今年の紅葉はどんなふうだろうか?と案じていたが、このところ朝晩の冷え込み強く、いっきに山がきれいになった。
今朝はビュウビュウと激しい風。木の葉、小枝がパラパラと舞い落ち、降った葉が車のワイパーに留まっている。
大きく枝を広げているわが家のモミジ。緑の葉の上に赤い帽子をかぶせたように色づいている。
里を取り巻くなだらかな山々も、わが家のモミジも、日に日にだんだんと、濃く鮮やかに染まっていきそうだ。
あとしばらくは、この里の暮らしが楽しい。

まだまだ…。

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郵便局へ行ったら、「切手、来てますよ」と局長さんに声をかけられた。年賀状に貼る干支の切手である。
「うわア―、まだ要りませ~ん」。
何年か前、12月も中旬になって、干支の切手200枚を求めに行ったら、その小さな郵便局にはわずかな枚数しか無かった。
取り寄せます、とのことだったが、出かけるついでがありますから、と大きな郵便局で買った。
翌年から、はやばやと、「干支の切手は何枚入用ですか?」と尋ねられる。
今年も、11月になったばかりの日に窓口を訪れたら、「切手、来てますよ」。
まだまだ年賀状を書く気分になれない。来年の干支の切手を傍に置きたくない。
なので、12月に入るまで予約継続中とさせていただく。

トマト狩り?

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センセイのお宅に伺った。
センセイは「トマト狩りをしますか?」とおっしゃる。
トマト狩り?
それは、初めて見るトマトの光景であった。まるでジャングルのようであった。
少ししゃがむ姿勢となって見上げれば、トマトの茎や葉が絡みに絡んで、ドームのような形状になっている。隙間から青い空が見える。
アイコという名の真っ赤なミニトマトが天井からぶら下がり、あるいは、絡んだ茎や葉に押し上げられて横たわってしまっているのもある。
野鳥がついばみに来るのを防ぐネットの網目を茎や葉は潜り抜けたり、はみ出したりで、縦横に伸びて絡み付いたようだ。
網目の外に出てしまったトマトに指が届かない。熟れたトマトは触れると落ちる。
トマトのジャングルでトマト狩りをした。
赤くて可愛いトマトが箱にいっぱいになった。

クボガキ

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今年はずいぶんたくさん実っている。
この辺りではクボガキと呼ぶ小さな柿が青空に映える。
こどもの頃、秋のおやつと言えば毎日、ふかしたお芋、ゆでた栗、そして柿ぐらいのものであった。
柿の木に登ってもぎ取りながらかじった。まるで猿である。
恥ずかしくなったか?体が重くなったからか?いつの頃からか、木に登ることは無くなった。クボガキを食べることも無くなった。
こどもたちが木に登っている光景も、竿をユラユラと差し伸べている様子も見なくなった。
クボガキのほのかな甘さよりも、濃厚な味わいのお菓子がいっぱいあるものな~。

お隣さんとクボガキ採りをした。
竿竹の先端に切り込みを入れ、小さな枝など差し込む。昔ながらの柿採りの道具である。
「こんな道具で柿を採ったことありません」
お隣さんは初めての経験が楽しいようで、どっさりの収穫となった。

呼び方

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「おばちゃん、あんたまだ黒い髪あるな~。わたしはもう真っ白で…」、隣に座った人に声をかけられた。
知らない人である。
「きれいな白髪ですね」と誉めれば良かったのかも知れないが、年上らしき人に「おばちゃん」と呼びかけられて戸惑ってしまって、その場に合うことばが出なかった。
どう言えば良いのだろうか?
お姉さんとも呼べないし、おばあさんとも言えない。
とりあえず、名前を尋ねようか?
今、会ったばかり、これから先、付き合う人でもないしな~。
名前を知らない、特に、年上の人への呼びかけかたに困る。