キノコ

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曇り空のもと出かけたら、突然の雨。
周りは真っ白に煙り、走るのが怖い。
車を停めて、しばらくは雨宿りとなった。
連日の雨、雨、雨である。9月の日照時間は平年の半分以下とのこと。
林の中にあるわが家の周囲にはキノコがニョキニョキ。本数が増え、茎の丈が伸び、傘が大きく広がっていく。
シメジのような、シイタケのような姿であるけれど、食べられないだろうな~?
台所の窓の下に真っ赤な丸い粒が2つ。ミニトマトを捨てた覚えは無い。
そばにしゃがんで見れば、これもキノコ。初めて見る赤いキノコ。
昔、押し入れの中にキノコが生えている漫画を読んだ。
幸い、押し入れの雨漏りも修繕したことだし、いくらなんでも、わが家の押し入れにキノコは生えないだろうが、家の周りには得体の知れないキノコがニョキ、ニョキ、ニョキ…。

蚊帳

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カヤツリグサって何ですか?と問われた。
遊んだこと無いですか?
茎を根元の方からツーッと引っ張りあいっこしたら四角い形ができあがる。
ちょうど蚊帳(かや)を上から見た感じになる。だから、蚊帳吊り草。
蚊帳なんて見たこと無い人が多いんですね、最近は。
昔、紙の障子か板の雨戸で家の内外を隔てていた頃、網戸などは無かったから、夏は蚊対策に蚊帳が吊られた。
透けて、薄くて、細かい網状の蚊帳は、蚊を通さず、風を通す優れものである。
母子の寝床をすっぽりと覆う蚊帳。なんだかうれしくて、はしゃいでしまう。
寝そべったまま足を蹴り上げ、蚊帳の天井に爪先が届くのはどちらが先か?姉妹でバタバタと騒いだ。
こどもたちにはうれしくて楽しかったけれど、蚊帳は、夜に吊って朝には取り外し、畳んでかたずけなければならない。
けっこう面倒くさかったようだ。

鹿が…。

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ん…? 台所の窓から数メートルのところに鹿がいる。
窓の前は山である。
日頃から、鹿や猪が山から出たり入ったりしているらしい。朝、痕跡を見る。
木々の葉っぱが大人の腰のあたりの高さに切り揃えたように無くなっている。
木や葛の根元が掘り起こされている。
ときには、花を囲っていた石が、それも片手では持ち上げられない重い大きな石が、あちらこちらに散乱していたりする。
「猪です」、「鹿です」、と近隣のどなたも断言される。
狼藉は夜の間のことで、食事の様子も、土掘りの荒作業も、現場を見たわけではない。
深夜にうごめくものの音や気配を感じたときは、翌朝、鼻先で玄関扉を叩いたかも知れぬような、扉の間際が掘り返されていたり、まさか、覗こうとしたわけではあるまいが、窓の真下に足跡を見ることもある。
夜、獣との遭遇は怖い。身を潜めているより他ない。

朝、目の前数メートルで草を食む鹿の姿には恐怖心がほぐれていく。
「ま、ごゆっくりどうぞ」。

久しぶり

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夏休みも終わりになって、ようやく顔ぶれがそろった。
朝、登校し、授業を受け、午後に下校する日々と違って、夏休み期間は、早朝にラジオ体操に行かねばならぬ。
おばあちゃんの家にも行く。
いとこたちがやって来る。
冷たい川で遊んだせいか、お腹が痛い日もあった。
こどもたちもお母さんもとても忙しい。
そんなこんなで、週一回の作文教室は、休み、また休みとなった。
りこちゃんがやって来た日、他のこどもたちはお休みだというと、ひとりだけだとちょっとさびしくて恥ずかしくて、送って来られたお母さんと帰ってしまった。
8月最後の作文の日、本日は、はなりちゃんそよかちゃん姉妹とりこちゃん、3人の出席。
しゃべらず、サクサク、サラサラと鉛筆を走らせる。1時間過ぎてもまだ書き足りない。
指に水ぶくれを作りながら、鉛筆で掌を真っ黒にしながら、そよちゃんも、りこちゃんも、はなりちゃんも書き続けた。
いつもなら、ほぼ全員の作文を教室の時間内に感想を書いて返却できるが、本日はどの子のノートも見ることができなかった。
3冊のノートを預かった。
ゆっくりしっかり読んで、感想を書いて家まで届けることにした。

夏を惜しむ…

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いつのまにか、わが家の林はツクツクボーシだらけになった。
夏の初めの頃はニーニー、ニーニーだったのに、次いでは猛々しいアブラゼミが主流となり、いまはオーシオーシの声が終日である。
衰えたとは思えない連日の暑さだけれど、盆も過ぎれば蝉たちは、オーシオーシ、ツクツクオーシ。惜しい惜しい、つくづく惜しい、と逝く夏を惜しむのだろうか?
スーイスイと赤トンボも舞っている。夜にはリリリ、ジージーと虫が歌う。

マッカ

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ギラギラ、カンカン、太陽の下。
白く乾いた畑の土にコロリ、コロリンと転がる黄色いマッカ。
果皮がひび割れ、はち切れて、枝に下がる赤いトマト。
夏のおやつはマッカとトマト。
ツルベで汲み上げた井戸水に浸けてあった。
トマトにかぶりつけば、ブジュッとつぶれて口の端から汁が滴った。
マッカは包丁でむかねばならぬ。
半分に切ったら、トロリと蜜のからまった種をくりぬいて、大きなひときれをかじる。
甘いのに当たれば幸い。だいたいは甘みが少なくて、こどもたちにはもの足りぬ。
けれど、一軒の店も無い村のこどもたちの夏のおやつは、マッカとトマト、たまにスイカ。

丸くてずっしり重たげな、濃い淡い緑色のメロンが並ぶ棚の隅に、小ぶりの黄色い瓜を見つけると買って帰る。
マッカである。正しくはマクワウリである。
ほのかな甘さが懐かしい夏のシーンを呼び起こす。

いい湯

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ほとんど名前を知らない。週に2度3度と顔を合わすご婦人方。
片道1時間、1時間半という方たちである。わが家からは2~3分。
温泉なかまである。
暑いね~。降れば大雨、降らねば水不足…、と天気の話。選挙の話。通院、薬、介護の話。
話はあちらへ飛び、また違う方向へと向かう。どこへ向かっても、ただちに話題は共感を得て盛り上がる。
温泉に浸かりながら、日頃気になることのあれこれを話したら、気分晴れやかになるようだ。
誰かが虫を見つけた。
何、なに?
どれどれ。
キャッ。苦手。
平気よ。クワガタよ。
持って帰ろう!孫におみやげ。
ガヤガヤキャッキャと70代もかわいい。
ダンナさんと約束した時間が迫る。
来週は来れない。
孫のお守り、病院へ行く日…。
来れない理由である。

やった!

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腰痛から神経痛となり、立つにも座るにも、歩くにも、車の乗り降りにも、イテテ、アイタタと声が出る。
治療院通いの日々である。車で片道20分、施術に20分。鍼や電気や牽引や…、毎日、ほぼ同じことの繰り返しである。
いっこうに痛みが軽くならないのに焦れて、「先生、この治療法が最善だとお考えでしょうか?」などと問うてしまった。
「そう思っています」おだやかに答えられた。
鬱々として、おそらく顔つきもムッツリとして通い続けた。
ある日、「先生、体が軽いです。痛みがやわらぎました」と告げるや、「やった!」日頃の雰囲気からは思いもよらぬ声を聞いた。
痛みは日によって軽いこともあれば、鈍痛が辛いときもありで、なかなかカラリと晴れやかな日は訪れないが、「やった!」のひとことを聞いてからは、先生これからもどうかよろしくお願いします―と心から思っている。

星に願いを

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このあたり、七夕祭りは8月である。
作文教室のこどもたちと笹飾りを作った。
●夏休みにクワガタがとれますように  3年生
●友だちとおとまりできますように  4年生
●ひらおよぎとばたあしができますように  2年生
●算数ができますように  2年生
●外国へ行けますように  4年生
●長生きができますように  4年生
●おとなになったら大金もちになれますように  4年生
小学生の願い、さまざまである。

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30数年も前に母からもらった鍋を重宝している。もらったというより、結婚式か何かの引き出物とかで、物置の棚にあったのを持って帰った。
モノクロ写真で料理が紹介されている。シチューもできます。カレーもできます。スイッチONで後は仕上がりを待つだけ、とある。
電気鍋である。火力が弱いのも特長で、ガラスの蓋をしたまま煮て吹きこぼれることはない。ON、OFFのスイッチ、HIGH、LOWだけの温度の切り替えも手動である。
カレーもシチューも作ってみたが、家族4人分には小さすぎる鍋であったので、いつの間にか使うことが無くなった。
歳月がたち、家族の人数も、暮らしの形も変わった頃から、わたしはもっぱら豆を煮るようになった。
この山里で作られる黒大豆、青大豆、白大豆、それに小豆もいっしょに煮る。
最初に調味するだけで、後は鍋まかせ。
6~7時間も煮る間に、黒大豆は黒い色が褪せ、青大豆は白っぽくなり、白大豆は茶色っぽくなり、小豆は黒ずんだ色となる。
見た目はよろしくない。
けれど、長時間煮られて存分に調味液を含んだ豆は、ふっくらと大きくやわらかくなって、おおむね好評である。
温度の調節もできず、煮あがったらスイッチをパチンと回して切らねばならないけれど。
豆を煮るなど冬の夜の情景のようだが、この時期、就寝前にスイッチON!
7種類もの豆をいっしょに煮てしまった。
冷やしたお豆さんもなかなかよろしい。

やっぱり!

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雨食い競争があればいいな、と書いたら、ことちゃんのおかあさんから実際の飴食い競争の情景を知らせるメールが届いた。
男の子は、顔が真っ白、粉まみれになるのを競いあい、女の子は、サッと口先で飴の袋を噛んで取り出し、顔が白くならないようにしていました、と。
それと、こどもの頃、空に向かって口を開け、降ってくる雨を飲んで遊んでいました、と付け加えてあった。
やっぱり、雨食い競争、あったのですね~。

雨を食う?

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親子参加でドッジボールをしてきました―、ことちゃんのおかあさんからメールが入った。
雨食い競争もありました??飴食い競争のまちがいとすぐに解るが、いいな!雨食い競争。
雨、雨、雨…の日々。誰か雨を食い尽くしてはくれぬか?
おおぜいで雨食い競争をすれば雨は無くなり、青空となり、太陽がサンサンと照ってくれるだろう。

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しとしと雨があがって月の無い夜。
こんな日はきっとたくさん舞っているだろうな~。
蛍を見に行く。
田んぼと林の間の一筋の道。道沿いに家は無い。前にも後ろにも車の明かりは見えない。
生まれ育った集落ではあるが、ちょっと心が落ち着かぬ。
小さな星の光と蛙の声とせせらぎの音。
ふわりふわりと舞い上がり、舞い落ちる蛍。
年を経て山姥のごとき身となっても、一人、闇夜の蛍見物は心はずむものではない。
こどもの頃、蛍見物はおとなに連れられて4人、5人いっしょに歩いて行った。
こどもだけで夜に出かけることは無かった。蛍見物か盆踊りに親たちが連れ出してくれるときに限った。
高校生ともなれば、学校帰りが遅い日もあった。
月明かりならくっきりと道は浮かび上がったし、月が無くても、ぼんやりほの白い道をペダルをこいだ。
たまに、向かいから背後から自転車の軋む音が近づいても、きっと同じ集落の人だったから、怖いなんて思いもなかった…。

ひらひら

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わが家の前は通学路である。
ときどき道端に立って、こどもたちが登校するのを待って見送っている。
すっかり夏着になったこどもたちが、「おはようございます!」口々にあいさつをしてくれる。
行列の中に何人か知っている顔があるが、集団登校の列の中では道端に立つ白髪の太った婆さんから声をかけられたくない、手を振ったりしないでね、そんな雰囲気である。
作文教室にやって来ると、はしゃいでにぎやかなのだけれど…。
どの子にとは限らず、「おはよう」、「行ってらっしゃ―い」。通り過ぎて行く子らに声をかける。
今朝は、珍しく2年生のそよちゃんが、腰のあたりでひらひらと手を振ってくれた。

初夏

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日に日に緑の色合いが濃くなる。
晴れた日はいきいきと輝き、雨降ればしっとりと美しい。
田に水も張られた。
いっせいに蛙が鳴き始めた。
山里が忙しくなっている。
初夏である。

ようかん

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作文教室の日。
うららかだった前日とは一変。雨降り、風吹き、寒々しい。
夕方に、快適な自宅を出て、雨風の中、作文をしにやって来なくてもいい。
「作文教室、今日はお休みにしましょう」と、いろは、ふうか姉妹のおかあさんへ電話をした。
しばらくして、「ふうか、作文、行きたい」とかかってきた。
結局、3人のこどもたちがやって来た。
いつもより広めになった机に3人がくっついて、ノートをひろげる。
クチュクチュとささやきながら、笑顔で見つめあいながら、書く。
雨風が強い日、寒さが厳しい日など、70歳は、ことに夕方になってからはどこへも出かけたくない。
この子たちは雨風が強くても、教室のなかまとの時間が楽しいもーん、ということだろう。お家の人の送り迎えがあってのことだけれど。
作文を書き上げるとおやつになる。
お隣さんが差し入れをしてくださった。
「なに、何?」
「ようかんいただいたよ。食べる?」
「何で、ようかんいただいたの?」
「かわいいこどもたちが作文をしに来ています、と話すと、いろんなおやつをくださるのよ」
こどもたちはちょっと照れて、ちょっとはしゃいだ。

山の蛙

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クルル、コロロといい声が深夜まで続いている。
ン?夜の11時に鳥が鳴く?
もしや、あの蛙ではなかろうか?
昨年の10月に玄関先で蛙を見た。
手のひら大のドテッとした茶色の蛙だった。
わが家は水田から遠い。車の通る道路から山道へ、少し坂道を上がった林の中にある。
そんな所へ蛙は何を求めてか?迷いこんだのか?
青蛙ならためらいも無く捕まえて、田んぼに連れていってやるものを。
グエグエと鳴く茶色の蛙はあまり気持ちが良くない。触れない。
居るべきところはそっちじゃない、あっちだろうと声と木の枝で追い立てたが、言うことを聞かず、ノソリノソリと草の蔭へと行ったのだった。
あの蛙が雑木林で枯葉に埋もれて冬眠していたのだろうか?
野鳥の多い林である。昼間は鳥に襲われ、食べられるかも知れぬ。
だから夜にコロコロ、クルルと鳴いているのか?
秋にはグエグエと鳴いていたのに、山鳥かと聞き間違えた。美声である。
たぶん、一匹だけの鳴き声である。
友よ、連れ合いよ来たれと呼んでいるのか?
水辺への道が分からぬのか?
山の蛙として棲み続けるのか?

花吹雪

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このところの治療院通いの道々、まだ蕾も無い頃から、ふくらんだ、一輪咲いた…と車窓に桜の様子を見ながら走っていた。
風に吹かれて花びらが舞い始めた週末、誘われて城跡の桜を見に行った。
杖に頼る身である。誘ってくれたご夫妻に散策をすすめ、桜に囲まれた広場のベンチに座る。
設けられた舞台ではピアノが演奏され、桜の歌が流れ、若者たちが元気に踊る。
一陣の風が花吹雪を巻き起こし、見る人、踊る人に盛んに花びらが舞い落ちる。堀には花筏。
プログラムの最後にビンゴゲームが始まった。
景品多数で次々と歓声が上がる。
延々と続いて景品はあと2つとなったところで、わたしのカードにビンゴ!
こっちもビンゴ、と手を挙げた人が4人。ジャンケンポン!残念…。
花吹雪、花吹雪。

里の春

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今年は山のコブシがことのほか多いと言えば、あれはコブシではなくてタムシバですと必ず訂正してくれる人がいる。
ニオイコブシという別名もあるようだし、図鑑で見てもさして変わらぬ。
なので、里の多くの人が呼ぶように、わたしもコブシと呼ぶ、と決めたのだけれど、いつも、ひとことふたこと、言い訳、解釈をしてしまうことになる。
ともあれ、いつもの年より数日早くコブシを見つけた。
白い花は朝に夕に増え続け、山肌に斑点のように広がった。
山にコブシが多い年は何かあるのでしょう?これもいつも交わされる会話である。夏、日照りが続くという人もあれば、大水が出るという説もある。
いったいどっちなのだろう?
確かめもせず、コブシが咲けば、また同じ会話が繰り返される。
わが家の裏山にも、こんなにあったか?と驚くほど、今年はたくさん咲いた。
桜の開花宣言も早かった。
けれど、ミゾレが降る日もあったりで、花の見頃は例年とさほど変わらず、4月に入ってからになった。
山のコブシ、川辺の桜、畑に桃の花、庭に椿…。木の根元あたりには、水仙、小さなすみれ、たんぽぽが。
踊り子草も群れて咲き、鶯がのど自慢、歌自慢を競っている。
つい先日、引っ越して来られたお隣さんが、「小鳥の声で目が覚めるなんて…」とおっしゃる。
里は、ぐる~りと春景色である。

うわの空

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お城の堀端に提灯が吊られている。桜まつりの準備中である。
行きつ戻りつの春で、見頃のときが定めにくそうだ。3月中に満開になってしまう勢いだ。
通った高校の目の前が堀であった。
小中学校へは1時間の徒歩通学であった。
高校へは、自転車、バス、列車、その頃はSL、またバスと小刻みに乗り継いで1時間余の通学であった。
山間のこじんまりとした学校から、1学年400人の高校の規模に緊張感が大であったが、新学期、音量高く演歌が流れて来る教室で授業が始まったのも衝撃であった。
6万石の城下町、桜堤みの続く堀には手こぎボートが浮かび、夕方まで途切れることなく演歌が流れていた。
教育環境がどうのなんぞと問題にはならなかったのかな~?
高校時代の3年間、桜の頃のいつもの情景であった。
現在、高校は城跡界隈から遠く離れた地に移転している。