もういいかい?

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鶯が鳴いた。
もう1週間も前に裏の林で鳴きました。その名も、”杜の蕎麦や”さんから聞いたが、わが家の林では聞き漏らしていた。
3月11日、朝6時半。ひと声ケキョ。
あれっ?たぶん、鶯。さらにひと声で終了してしまった。
枕元の日記を繰れば、昨年は3月20日、一昨年は3月11日に聞いたと記している。
今日も寒い中、もういいかい?春だよね?とときおり試し鳴きのように鳴いている。
ホ~、ホ~ケ…、音量もメロディもまだまだ弱い。

ふわりふわりと

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治ったり、痛くなったりを繰り返してきた腰痛が、年が明けた頃から痛みが定着してしまった。
動きを変えようとするたびにイテテ、アイタタと声が出る。
整骨院へ通い始めた。
鍼も電気のビリビリも初めてのことで緊張した。
おっかなびっくりのスタートだったが、だんだんと通院の回数が増えるにつれて、スタッフとの会話もひとことずつ多くなった。
暦は啓蟄。
「暖かくなって、体もこころもふわりと軽くなった思いです」
「ふわりふわりと日々お過ごしください」
凍てつく冬の間、ギシギシ、カチカチ固くなっていたものな~。
ようやくの春。
ふわりふわりと過ごそうか。

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昨年の秋に移植してもらった梅の木が3本。
この春に咲くのは無理だろう、とあきらめていたが、3本とも花をつけ始めた。
鍬やスコップで掘り上げたのではなくて、周囲の大量の落ち葉や土とともにゴッソリと掘り起こし、そのまま数メートル離れた場所に移し植えられたので、枝も根も傷まず、梅の木自身、場所が変わったのを知らぬまま、咲いてくれたのかも知れない。
3本の梅の木は、数年前に知人からいただいた。
このまま大きくなったら庭を占領してしまうからとのことで譲り受けることになり、植えてもらった。
そのときは、大きな機械など無かったから、掘りやすく運ぶにも軽いように、枝も根も小さく切り詰められていた。
植えられた3本の梅の木は、1年間ほどは元気が無かった。
けれどやがて、花が咲き実がなり始め、隣のことちゃんや、小さな兄妹たくみくん、ちいちゃんたちといっしょに摘めるようになった。
兄妹はおかあさんが作ってくれる梅シロップがお気に入りだそうな。
昨秋、3本の梅の木をまたも移し変えることになって、今年は梅シロップが作れないな~、と思っていたら、花がポツポツと咲き始めた。
早い遅いはあったが、3本とも花の数が日毎に増えている。

お手玉

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700円也の温泉施設へ通っている。家から5分である。
遠方からの人も多い。車で1時間です、1時間半です、と聞く。
週に2度3度と通ってきておられる。
似たような年頃である。
病気の話、孫の話が多いが、近ごろはこどもの頃の思いで話が続いている。
60有余年も前の情景である。
あの頃の寒さ対策はタドンだった、レンタンだった。
ひとしきり相槌を打ち合う。
お手玉の話になった。
「指先も頭も刺激されて良いそうよ。テレビでやってた」
まずは現状の老化対策の話となった。
「こどもの頃は3つのお手玉をあやつれた」、
「作ってもらったお手玉を10個も袋に詰め込んで遊びに行った」、
「じょうずだったよ~」、
口々に出てくる。出てくる。あの頃の情景が。
老女たちの顔が童女の顔になった。

大寒

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身体が押され、踏んばってもズリズリと走らされる。
冬将軍の采配のもと、”雪起こしの風”が暴れる。
煽られたマフラーが頬を打つ。
このところ脚が頼りないので杖を持って出たが、役にたった。
風の中を杖にすがってヨロヨロ、フラフラと歩く。いつだったか、こんなシーンを見た。
座頭市か?市の杖には刀が仕込んであった。
わたしは、ときには雨傘を、武器ならぬ杖がわりにしているが…。
杖を突いて風の中を歩きながら、座頭市なんぞを思い浮かべたが、
片や、風になぶられ白髪をそそけ立たせた老婆である。
座頭市とは、昭和もずいぶん昔の話。古いな~。
どうにか行って戻って、さて翌日は、やっぱり雪になった。
暦は大寒。
雨戸を繰れば一面の雪。
降ってしまえば、かえって暖かい。
風もおさまって、朝陽がやわらかく射し込み、雪を輝かせる。
お日さんはありがたい―、母の口ぐせをつぶやいてみた。

いつもの冬に…。

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曇天、曇天…。隙間から白い太陽がペタンとのぞいたが、また次の雲に隠れてしまった。
冬なのに、日々の暖かさに身も心もゆるんでいた。
梅かと思えば桜の花がポツ、ポツリ。ツツジも咲いた。
山よもう笑うのか?と問うたほど。
遠目にも山は軽やかなピンクに見えたし、ひとところ、ふたところと固まった木々は、
芽吹きの色に霞んだようで、産毛光る頬っぺたをふくらませた幼女を思い浮かべさせた。
ようやく冬将軍が馳せ参じたのは数日前のこと。
どこで道草をしておられたのやら?春七草を囃す音に我にかえって、黒雲に乗っての登場か?
とたんに山々は目を伏せ、頬引き締め、黒い覆面を着け、謹んで頭を垂れた図となった。

山里の冬―、いつもの景色は、ああ、こんなものだった。

新年2016

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暖かい年末年始―。
凍てつく日々を覚悟している身にはありがたい。
例年なら、室内でも2℃、1℃の朝がある。そんな朝はしばらくは、ストーブの前30㎝の位置から離れられない。
あい変わらずエアコンも床暖房も無い暮らしである。
年なのだから、意地を張らずに、の忠告を受ける。
凍える朝は辛いけれど、もっと寒い家で育った。
土間との間を隔てる戸も紙障子も無い広い板の間に囲炉裏があったが、他の部屋では手あぶり用の火鉢と寝るときの炬燵だけだった。
部屋も狭いし、間仕切りの板戸もガラス戸もある小さなわが家は、ずうっと暖かい。
やはり、やせ我慢か?

今年の冬は、ストーブの前にうずくまるという朝はまだ無い。
ツツジがチラホラ咲いている。ちょっと変な気候。
身も心も緩んでいると、ある朝室内で1℃なんて日が来るかも―。来るだろうなぁ。

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名前

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戸数30の集落には同姓が多かったせいか、おとなもこどもも、たいていは名前で呼ばれていた。
それも、正確に呼ばれることは少なくて、まさこはまーこちゃん、よしこはよっちゃん。ふみおはふーちゃん。
さちおもさちこもさっちゃんで、さちおは前のさっちゃんと呼ばれた。この先行き止まりの集落の前の方に家があった。
女の子の名前にはほとんど、”子”が付いていた頃のことである。
だいたいが頭の一字を伸ばしたり縮めたりであったが、なぜか、やーちゃんと呼ばれる人は、本来はただしとかただあきで、”や”という字は付いていなかったが、手紙など、弥一という宛名で届いたそうだ。
夏休みになるとやって来ていた隣家の孫娘をわたしは、ぴーこちゃんと呼んでいた。やすこであったのに、なぜ、ぴーこちゃんとなったのか?思い出せない。
父は、親戚のお爺さんをガンジーと呼んでいた。
思い浮かべれば、小柄であったがなるほど鼻が高くてエキゾチックな顔だちであった。外国航路の船員さんであったそうな。
腰を曲げ杖を突き、信玄袋を提げてヨチヨチと、日課のごとくわが家を訪れる姿は、わたしには日本の昔話の中のお爺さんのようであった。
大柄で、口達者で、いつもガンジーと入れ替わるようにスタスタとやって来ては、酒呑みだ、怠け者だと告げ口を惜しまぬ奥さんのことを、父は陰でガンババと名付けていた。

集落の中で正しく名前で呼ばれていた人は、ちょっといかめしく寄り付きがたい人であった。

マラソン大会

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マラソン大会の日だと聞いて、こどもたちの応援に行った。
各学年にクラスは1つ、総勢でも150人ほどの児童数である。
全員がいっせいに走り出すのではなくて、まず1年生がスタートし、戻ってくるのを拍手で迎えてから次の学年が、よーい、スタート!飛び出していく。
どの学年の児もスタート直後は短距離走のごとく猛ダッシュ。勢いのあるままグランドを一周し、通学路へと走り出て、数分後には間隔を空けた列となって、頬っぺを真っ赤にしながら戻ってくる。
孫はいないが作文教室のこどもたちが1年生にも2年生にも、3年生にも、そして5年生にもいるので、いっぱい応援して存分に楽しませてもらった。
上位には入れなかったけれど、教室のこどもたちは全員が元気に完走した。

わたしは、ゴール直後に気絶したことがある。高校生の頃。
それも、華々しく先頭争いをして倒れ込んだというわけではない。ビリから数人目という順位であった。
1年生のときも2年生のときも、風邪引いた、腹痛で…などと口実を設けて不参加であった。
日頃から、ナニクソ!と頑張るところが無かった。体力も気力も、ずうっと怠けていた。
卒業間近の3年生だもの、と参加したが、走ったり、歩いたり、歩いたり、でなんとかたどり着いたゴールであった。
「だれか倒れたらしい」と声が飛び交う中、とっくに上位で校庭に戻っていた妹が見たのは、朝礼台の上に寝かされた姉の姿であった。恥ずかしかったそうだ。
全校生徒の集まる校庭の朝礼台の上に、アシカ?いや、トドのごとき姿が―。思い浮かべても、確かにみっともない。

しかられた

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作文教室のこどもたち。にぎやかに話しだしたり笑いだしたりが始まると、鉛筆が動かない。
動いていてもアニメの登場人物なのか、大きな目、髪も脚も長い女の子の絵を楽しそうに描いている。
珍しく?しゃべらずに、みんなが熱心に作文をしているので、わたしも傍らで原稿の下書きをしていた。
ボールペンで、横書きで、だんだん文章が右肩上がりになるまま、ペンを走らせていた。
「もっとていねいに書きなさい!」
横に座る一年生にしかられた。

100倍のパワー?

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わが家で作文教室を開いている。1年生からの児童たちが通って来る。
小さな、つ、よ、ゆなどをつかうのが難しかった児たちが、きょうしつ、ちゅうしゃ、わらった、おこったと書けるようになった。
3年生ともなると、山あり谷ありのドラマチックな構成や、場面の描写もできる。
「受験のための指導はできません。書くことが苦にならないようにお手伝いができたら、と思います」と親御さんにご了解をいただいたうえでの作文教室。
「書くことがわいてこない」というときは、「書かなくてもいいよ」。鼻歌まじりで絵を描いている。
「マエナカさんだって書きたくないときあるよ」。本音である。
寒さ厳しい日などは、暗くなった夕方に出かけて来るよりも、家でぬくぬくとしているほうが良かろうと思う。
わが家の防寒対策は万全でない。寒い家である。

全員の作文が書きあがる頃に、ほんの少しおやつを出す。
ケーキやクッキーは作れないが、たまに、栗を練って作ったようかんなど、手作りのおやつを用意することがある。
わりあい好評で、翌週に「この前のは無いの?」と声があがって喜ばせてくれる。
「もう栗は無いからね」といつものようなお菓子が続くと、「マエナカさんが作ってよ~」のオーダー。
さつま芋のようかんを作った。
「食べたら100倍のパワーが出る!」と1年生のそよかちゃんからなんともうれしい誉めことばをもらった。
お芋を喜んでくれるなんて…。また作らねばなるまいなあ~。

象?

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青空に大きな象が浮かんでいる。
鼻を持ち上げ、4本の足を踏んばって、
「プオーン、本日は晴天なり」と歌っているのか?
小さいが鯨もいる。隣は豚か?鯨よりも大きいが…。

落ち葉頻りの日々となった。
車の屋根にも、フロントガラスにも、
落ち葉が重なっている。
山里の秋は、あとしばらく。

雲海

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カーテンを開けたら、遥かの峠に霧が溜まっていた。
両側の山がポコリポコリと浮かび上がっている。秋が深まった頃にときおり見られる現象だ。
「雲海が見えるよ~」、
四国から来て滞在中の妹を呼び起こす。
妹は、写生帖、水を入れた小さなバケツ、筆や絵の具を手早くまとめて玄関を出ていった。
刻々と変化する霧の情景を見ながら筆を走らせる。
絵を描くのが苦手なわたしは、タイミング良く雲海が発生したことを喜びながら、妹の傍らで絵ができあがっていくのを見ていた。

妹は、ふるさとの秋を数枚描いて四国へ帰った。
数日後、雲海の絵をコピー機で縮小したハガキが届いた。

自慢

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この里の紅葉は美しい。滝も、庭園も、寺も神社も…、名所といわれるようなところは無いけれど、里全体がきれい。ともかくきれいと自慢するものだから、そんなに?と人が来てくださる。
なんと、紅葉の時期は、来ていただく日を調整している。この日に来ていただくと好都合ですが、とこちらの勝手を伝えると、行くよ~、お弁当も持っていくからとこちらに合わせてくださる。
毎日のようにそこかしこの紅葉をめぐって遊び暮らすうち、夜半にバラバラ、バラ。雨かと思ったら落葉頻り。

明ければ、昨日までの情景とは一変し、紅葉まばら、裸木だらけの林、森。
訪問客は減り、絶え、やがて凍てつく日々の訪れとなる。
いつも、落葉の後は冬ごもりです。冬眠します、と言っている。
冬もまた、この里の自慢をすれば人の訪れがあるだろうか?
さて、冬枯れの里は何を自慢しよう?

日溜まり

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「お尻が見えたので寄ったよ―」
いつもの道を走っていたら、日溜まりの中で小豆を選別中のそでちゃんを見かけた。
そでちゃんなんて親しく呼んでいるけれど、わたしよりも年上である。
この里で暮らし始めた当初に声をかけてもらって以来、何かと心頼みにさせてもらっている。

昔は里のどの家にも縁側があった。
縁側には豆が干されたり、布団が広げてあったり、繕い物をしている人の姿があった。
田畑へと向かう人が通りがかりに立ち寄り、腰をおろして一服していた。
いつ頃からか、縁側にはガラス戸が入り、カーテンが引かれている。
縁側でひと仕事をする人、憩う人、おはじきをするこどもたちの姿が無くなった。

いつもの道を通りながら、畑にそでちゃんの姿を見かけることがあるが、たいていは作業中なので、ちょっと頭を下げて通りすぎる。
上々の日差しに背を向けて小豆を選別中のそでちゃんの様子が、なんとなくゆったりとして見えたので、車を停めて声をかけた。

たくさんの柚子をいただいた。今秋はじめての柚子である。緑の色が少し残った瑞々しい黄色の柚子を高い枝から切り取っていただいた。
5個ばかりジャムにした。
香りが満ちた。

宝箱

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大工さんに押し入れの修繕をしてもらった。雨漏りがしていた。
以前から押し入れの中の荷物は全部出してあった。16年前にこの家に移ってきたときに押し込んだまんま、フタを開けたことのないダンボール箱もある。
押し入れの天井も壁も床板も、木の香匂う杉板が貼られた。
この際、荷物をスッキリ整理しようと決心したのだけれど…。
見てしまった。こどものアルバムを。ノートを。
見てしまうと、もう、整理しようとしていた手は止まる。一枚、一枚に見入ってしまう。読んでしまう。
漢字のプリントの束がある。
3年生、といえば20数年も前。例えば、「遊」という字を使って短文を、とある。
ぼくのお母さんは西遊記のちょはっかいににています。
「品」では
ぼくのお母さんはけしょう品をあまりもっていません。
4年生、「料」
お母さんの料理はとてもおいしい。
5年生になると
「肥」
ぼくの家にはまるまると肥えたお母さんがいる。
ちゃんと母を見て、こんなにもかわいい表現をしてくれたものを。
ああ、いつの頃からだろうか?
肩に手を置こうものなら、スルリと抜け、おーい!と手を振れば、プイと他人のような素振りをし、
体育祭には来ないで!と言うようになったのは?

遅々として、荷物は片付かない。

寒い朝

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田畑の向こう、駅への峠に霧が沈んでいる。
雲海とまでは言えないけれど、
ところどころ紅葉を始めた円い山々の、
あたかも両腕に乳白色の湖を抱えているようだ。
見渡す山々の中腹あたりに、霧の帯がかかっているようなのも静かに美しい。

好奇心

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わが家の周りに池も田んぼも無い。
けれど、田植えの頃、田んぼに水が張られると、いっせいに蛙の合唱がこだましてくる。
今はもう、にぎやかな声は聞かれぬ季節。
ところが、夜となく昼となく、グエグエ、ゲーゲと低音の太い声がごく近くから聞こえてくる。たぶん蛙。
数日前、車を出そうと近づいたら、手のひらほどの大きさの茶色の蛙がいた。
グエグエの主はあいつか?
どこかの池からあがって散歩にでも出かけたのか?違う世界を見たいと探検にでも?昔話に、好奇心旺盛な蛙が出てくるのがあるが…。
思い当たる池は蛙の足ではずいぶんと遠い。
タイヤで引き潰してはタイヘンだと、靴の先で追いやれば、ノソリバサリと草の陰へ。
その後、まだ探検が続いているのか?迷って草むらから出られなくなったのか?
ボボ―、ホーホーと鳩が鳴く。
ゲーゲ、グエグエと蛙が鳴く。
美声とは言えないが、春、夏さえずっていた鴬やヒグラシ蝉に交代して、これもわが家のにぎわい。

蛙は雑木林で生きられるのだろうか?
このまま冬眠に入れるのだろうか?
春、畑を掘ったらノソリと蛙が出てきたことがあった。

樹齢

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林の檜を伐採しなければならなくなった。
電動ノコギリが樹皮に食い込んで行く。
ショベルカーが唸りをあげながら大木を押し倒し、引き倒す。
檜は軋みながら倒れる。ドドンと大地を轟かせる。
人間の力では押しても引いても動かぬものを、あたかも鉄の怪獣は、大きな口を開けて挑みかかり、濃い葉の繁る枝にかぶりつき、持ち上げる。
裁断された丸太も軽々と持ち上げる。

樹齢およそ60年ほどかと思う。
父と母とが植えた。
木が幼い間は下草を刈り、下枝を切り取る作業をしていた。いつも暑い時期だった。
たまに、甘くて冷たい紅茶を作って自転車で運んだ。家から3㎞ぐらいあった。
汗を吹き出し滴らせ、土や枝葉で汚れた尻をおろして、さもおいしそうに飲んでいた姿が浮かぶ。
孫の代になったら材木として伐り出せるだろうと言っていたが、現在は、手入れもされずに育った樹齢60年ばかりの檜は価値が無いのだそうだ。
なんとか伐採の数を少なく、と望んだが、結局は30数本を伐らねばならぬこととなった。
バリバリと裂けながら倒れる木の響きは父母の悲鳴に思えた。

作業2日目―。
8時から重機が働きだした。
昨日の残りの木立をめがけて唸る、噛みつく。
昨日はしっかりと見届けようと思ったが、今日は、残りの木々が倒れるのを見ていたくはなかった。
数時間の外出から帰ってみれば、格別に背の高い一本が伐られようとするところだった。
1機がその鉄の口で大木を支え、もう1機は太いワイヤーをその口にくわえて、大木の倒れる方向を定めようとしている。
鉄の怪獣が虎視眈々と獲物を狙って見上げる中、大木の根元に電動ノコギリが食い込み、やがて地響きとともに檜の大木が倒れた。
60年かかって育った檜の30余本の木立は2日間で消えた。
鬱蒼としていた林は、やけに明るい広場となった。

お月さん

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リンリン、リリリーと騒がしいほどの虫の音に包まれながら、木立の上の空を仰ぎ見た。
十五夜のお月さんは、まるまるとして冴えかえっていた。
開けて十六夜。一年中で最大のお月さんが見られる、スーパームーンとか。
残念ながら、うろこ状の雲が空いっぱいに広がっていた。
それでも、お月さんは、輝く雲のすき間から少しだけ顔をのぞかせてくれた。