人の名前が思い出せない。
現に目の前におられてこうして話しているのに、あなたはどなたでした?と問うわけにもいかない。
ひとしきり話して、じゃあ…と別れたとたんに思い出すこともあれば、いっこうに思い出せず、ああもどかしい。
食器棚を開けて、あれ?何を出すつもりだったか。
いろんなものをしょっちゅう探している。探しながら、何を探しているのか分からなくなる。
ついに来たのか?いやいや、もうずいぶん前からの症状である。
探し物ばっかりで、とこぼすわたしの所へ整理整頓の上手な友人がアドバイスをしに来てくれた。
次々に出てくるハサミやホッチキスなどの文具をひとまとめにしながら、
「マエナカさん、モノにはそれぞれに住所があります。ハサミもホッチキスも、使い終わったら元あったところに返しておけば行方不明にはなりません」
ピシリと言い渡された。
モノには住所…と自分に言い聞かせながら過ごす日々が続いたが、やっぱり、メガネは? 住所録は? と部屋をうろうろ、机に積み上げた新聞、文庫本、メモなどを右へ左へ。
ある日、「 腕時計が冷蔵庫から出てきた 」と片付けじょうずな友人から電話がかかってきた。
投稿者: 前中 和子
電話
松本清張を読んでいた。
昭和40年頃の東京の家庭の場面。
玄関を上がって廊下の隅の台に電話が載っている、とある。
当時、電話はまだどこの家にもあるわけではなかった。親戚の家、知人の家、あるいはテレビや映画の中でも、電話は玄関の靴箱の上や専用の電話台の上、応接間のような部屋にあった。
家族が集まる茶の間や台所にあれば便利だろうに、ちょっと自慢気に玄関などに置かれていたのだろうか?
わが家の電話は、わざわざ土足に履き替えねばならぬ土間の壁際にあった。
戸数30戸の集落の中で電話があったのは、たぶんわが家ともう一軒ぐらいだったので、近所の人が電話をつかわせてほしいと来られたときに土間なら便利であった。
ときおり、電話を貸してくださいとちょっとした手土産など持って来られるおばさんは、電話口で格別良い声で話しておられた。いつものしゃべり声とは違う声の高さであった。
半世紀前ののどかな情景が思い浮かんでくる。
電話は、ポケットやバッグの中にはなかった時代。
サカトンブリ
四国からやって来ていた妹を乗せて山里の紅葉をめぐっていた日、あちこちの田んぼから煙が立ち上っている光景にひかれて、友人の田んぼあたりへと廻ってみた。
ここでも黒豆の枯れ枝や豆殻を燃やしていた。
田んぼの残り半分ほどには杭に黒豆の枝が逆さに掛けられていた。
次々と刈り取っては、あんなふうにサカトンブリに干しておくのだと説明をしてくれた。サカトンブリということばを久しぶりに聞いた。
こどものころ、逆上がりができないとき、「 もっと思いきって足を蹴りあげて、サカトンブリになれ!」と叱咤された。最近は使うことも聞くこともなかった。
友人は数人のなかまと黒豆作りをしている。勤めを退いてからの黒豆作りである。
友人は農家の生まれだが、なかまたちは農業の経験がない。手探り、手作業での黒豆作りを始めた。
いまや、農家といえど高齢者が一人で田畑におられたり、休日ごとに大型機械で一気に作業をしている風景が多い。
友人たちは60代、まだまだ若くて元気。手作業、減農薬にこだわっての黒豆作りをここ10年間続けてきた。
炎天のもとでの草引き作業に目を回し、ふらついた日もありながら、植える時期、草を抜く日、枝豆の時期、そしていまの黒豆収穫の時期、その時期ごとに友人のもとへとなかまが集まって、合宿のような状況での作業になる。
真夏には、まだ朝飯前に作業をして昼までは休み、また夕方から作業をするなど、作業スケジュールをきちんと組み立てて取り組んでいる。
わたしもそのなかまに入れてもらったことがあったが、炎天下の草引き作業中に頭がくらくら、気分が悪くなりかけた。ただの足手まといであった。以後、お呼びはかからなくなった。
それからは、枝豆のころ、黒豆ができあがったときに譲ってもらいに行くことにしている。
12月中旬には大きな粒の上等の黒豆が手にはいる。
それにしても、サカトンブリとはおもしろいことば。これはわが地方独特のことばだろうと思ったが、ためしに広辞苑を開いてみたら、ちゃんと[ 逆とんぶり ]が出ていた。
30年もみじ
障子に朝日があたって、シルエットになった木々や葉っぱが白い紙に揺れている。
障子を開ければガラスの向こうに、日に日に紅葉を深める一本のもみじの木がある。緑、黄色、オレンジ、深紅、さまざまに色づいた葉がまばゆい。
30年ほど前、母といっしょに選んで植えたもみじである。そのとき、椿も買って自宅の階段をはさむように植えた。
もう少し離して植えればよかった。歳月の間にかなり大きくなって、もみじと椿の枝が絡み合っている。
おまけにこの椿、一本と思っていたけれど、二本くっついていた。
花が咲き始めると赤い花と白い花が咲く。珍しい椿ですね~。一本の木に白い花、赤い花が咲いている珍種だろうか?と尋ねられる。
幼いころに二本をそれぞれに分けてやればよかったものを、根元のあたりできっちりとくっついている。
そんなわけで、見上げればもみじと椿、葉っぱも枝も厚く重なりあってしまっている。
大きく傘を広げたような形に育ったもみじは、毎年とても鮮やかに紅葉する。通りがかった人が立ち止まって見ておられることがある。車を停めて写真を撮られる人も。
いま、向かいの山も、ぐるりと目を移せば見える円くて低い山々も、おだやかに優しい紅葉景色である。
あとしばらくは、木枯らしが葉を吹き飛ばすまでは、紅葉景色が楽しめる。

霧の朝
一面、薄く優しいミルク色に霞んでいる。
いつもJR駅へと走る峠のあたりは濃霧の中に木立の頭が黒く見える。あの峠を下れば、今朝も深い霧がたちこめているだろう。
このあたりが朝の太陽に照らされているころに車を走らせたのに、峠にさしかかるころは薄いベールをかき分けるような進み方となり、峠を下るときには真っ白、いやいや乳白色というのか、濃霧の中に閉じ込められる。たった数分走るだけの距離なのに、向こうとこちら、朝の情景は大きく異なる。
だんだんと霧が晴れれば、里を取り囲む円くて低い、おだやかに優しい山々に紅葉景色がパッチワークのように広がっている。家々の脇には熟柿が残り。山茶花、柚子が色を競っている。
「 なあんにも無いけど紅葉の野山 」と下手な筆文字に現した。
なんとか寺とかなんとかの庭などと賞賛される紅葉の場所は無い。でも、小さな里を囲む、山というより丘のような低い山々と、田んぼと、土手が、紅葉、黄葉に染まっている景色はまことに美しい。
あんなに暑かったのに。あんなにひどい風が吹いたのに、ようやく涼しくなったと思ったら、また夏の暑さにもなったのに…。
今年も美しい紅葉景色を見せてくれたことに、感謝、感謝。
移り気…?
ものごとがやりっぱなし、中途半端になる。
掃除をしていて、窓の向こうの紅葉の具合が気になる。ガラスが汚れている。クリーナーをOFF。窓拭きを始める。
窓の下に何か落ちている。
頭をかじられたようなスズメ。モズのはやにえとやらになっていたものだろうか?
とりあえず窓の敷居から降りてスズメを埋める。
郵便配達さんが来た。いそいそと受けとる。
どこからというあてがあるわけではないけれど、郵便が届けられるのはうれしい。
〇〇日にギャラリーぶんあんに行きます、などと知人が書いて送ってくれたかも知れない。
四国新居浜に暮らす妹からカラスウリの絵はがきが届いた。
妹は庭や散歩道で見る草花を描いては送ってくれる。
そうそう、朝からジャムを煮ていた。りんごとお芋のミックスジャム。
りんごだけを煮れば、さわやかさがおいしい。さつま芋を少し加えると、とろみと甘味が増す。このところ、このお芋を少し加えたジャムが気にいっている。
朝から煮て、冷めたらビンに詰めるつもりで、その間にクリーナーをかけていたのだった。
思い付いたとき、すぐにやっておかないと、あとまわしにすれば、思い付いたことなど忘れてしまう。
コンロの火を止めることはよくよく注意しているが、あっちにクリーナーのホースが伸びたままになっており、広げた新聞の上にメガネを置いたまま。
窓の敷居に上がるときに使った椅子も食卓に戻さぬまま窓際にある。あ~あ。
妹との電話はいつも長い。
話している最中に、あの話をしておかねばと思い付くと、すぐに話題を切り替える。今、話さないと忘れてしまうかも知れない。
60を過ぎた姉妹はお互い似たような思考力、記憶力なもので、話題があちらへこちらへと飛んではまた、繰り返しになる。
で、今日はいったい何の話がしたかったのだろう―?
紫色のようかん
栗がはじけ、豆がふくらみ、芋が熟す。
秋は次々とおいしいものが実る。
なに一つ作っていない私のところへいろいろと届けてくださる。届けていただいたものは鮮度の良いうちに加工したいので、連日、終日、皮をむいたり、あくを抜いたり、つぶしたり、こねたり、固めたり。ああだこうだの作業が続く。
この秋いちばん珍しかったのは、紫色のさつま芋。
紫芋チップスというものを食べたことはあるが、紫芋を手にするのは初めてのこと。
土のついた芋は紫というわけでもないが、端を切ってみるとなんとも濃い紫色。
食欲がそそられる色ではない。
いただいたからにはおいしく食べたい。
さて、どうして食べる?煮るか、蒸かすか?
他の具材といっしょに煮ると紫は際立つな~。主菜につけあわすといっても、難しい。紫は。
単独で味わうために、ようかんを作ることにした。
輪切りにして水にさらすと水が紫に染まる。染め物ができそうだ。
水にさらした紫芋を茹で、砂糖とひとつまみの塩を加えて練り上げる。
容器にギュギュと押さえ込むように詰め、冷蔵庫に入れた。
翌朝、どれどれ?と容器を逆さにして底をトントン叩いて中身を落とし出した。
寒天も入れてないが固まっている。
舌触りもなめらかな紫色のようかんができた。
紫という色がやっぱり気になる。
小さなともだち、3歳のタクミくんがこの前、おともだちや家族と掘ってきてくれたお芋もようかんにした。
紫色と黄金色のちょっといい感じのようかんができた。
栗 その2
隣家から毎年、栗をわけていただく。
わが家にも栗の木はあるが、手入れも何もしていなくてただ高く高くそびえている。ある日、まるで空からいが栗がポトリ、ドサリと降ってくる。それはそれでうれしい季節の便り。
両足で挟んでいがの中から実を取りだし、拾い集めた栗を入れてご飯を炊いたり、ゆでたりする。
お隣さんの栗は、それはそれは手入れのいきとどいたみごとな大粒。この栗で渋皮煮を作れば、琥珀色の仕上がりにうっとりと見惚れる。
それほどの出来栄えを得たいがために毎年、栗と格闘している。
渋皮を傷つけぬように鬼皮をむかねばならぬ。渋皮に傷がつけば渋皮煮が作れない。
渋味を抜くために何度もゆでては水を取り換え、の作業を繰り返さなければならぬ。
火力は弱くして、決して煮たたせてはならぬ。火力が強いと渋皮が破れる。
渋皮が破れた栗が混じっていると渋皮煮の液が濁る。
渋味を抜くために何度もゆでては水を取り換えを繰り返すけれど、渋味を取り過ぎてもいけない。渋皮煮だから。
作業はゆっくりゆっくり気長にすすめる。
この間、ガスコンロの前に貼り付いていなければならない。外出は不可、である。
がまん、しんぼうという格闘をしている。
渋味を抜く作業をようやく終えると、砂糖と少しの醤油で味を付け、静かに煮ていく。2時間ほど煮たら火を止めてそのまま放置し、だんだんと冷えて味がなじむのを待つ。
完成した渋皮煮が口に入るのは翌日になる。
とてもめんどうくさいけれど、秋が来たな~と思う時である。
いろいろな作り方があり、作り手それぞれの味があろうと思う。
わが家の渋皮煮は、甘さ控えめ、ちょっとあっさりめの味ではあるが、作るたびに違う味。なかなか、これぞ!という仕上がりにはならない。
この秋4回目の渋皮煮の味がなじむのを待っている。
栗
テレビで20代の男女にいが栗から栗の実を出させていた。
あらかじめ、テーブルの上にカッターナイフ、ハンマー、トングなどの道具が並べられ、どれでも使って栗の実を取り出してください、というもの。
いがは少し口を開け、茶色の実がのぞいている。
1人め、ハサミでいがを切り裂こうとする。右手にハサミ、左手でいがを押さえようとするがイガイガが指を刺す。give up。
カッターナイフを選んだ若者も同様に、あ、痛、た、たっ、指が痛い。
1人はなんと、小さなハンマーを降り下ろした。いがを叩き潰そうとする。それでは中の実も割れる。
熟して落ちた栗は、両足の靴でいがを挟んでグリグリと割れ目を広げる。広がれば、トングで実をつまみ出せば良い。
若者の中には、栗はあの茶色の実がリンゴやサクランボのように木にぶら下がっていると思っていた人もいた。
桃、栗、三年。柿八年。猿蟹合戦。などなど。栗は珍しくもない果実だと思っていたけれど、いが栗を見たことのない人たちも多いのか?
ま、わたしにしても、パイナップルがどんなふうになっているのか見たことがない。
ヤモリ
初めてその姿を見たときは、ムカデ、ゲジゲジ、クモ、ナメクジ…、木立の中にある家ゆえに何でもありは受け入れざるを得ないことではあるけれど、ああ、お前もいたのかやっぱり、と覚悟した。
四肢を開き、ガラスにへばりつき、白い腹をヒクヒクさせている。拡大すればイグアナか恐竜にも似ている。
けれど、ここで暮らしてもう十余年である。いろいろな事柄やモノにもなれてきた。
ギャアギャア騒ぎながら殺虫剤攻撃やスリッパで叩きのめしていたムカデでさえ、いまでは慌てることなく静かにお湯をタラリンとかけて、弱ったところをトングで挟んで戸外へポイと捨てる。
長くておびただしい数の脚で歩き回るゲジゲジは、噛まないと聞いてからは両掌に囲いこんでこれもポイ。
ガラスにへばりつくヤモリを見続けるうちに、その姿はユーモラスで可愛いと思い始めた。昆虫やクモを食べるそうだし、家守とも書くらしい。
台所の流し台に向かえばヤモリがガラス面をチョロチョロと移動する。
この頃、ヤモリが二匹いることがある。実は日々、交替で出てきていたのかも知れない。二匹同時に見たのは初めてのことだった。
ひょっとして、恋人?嫁さん?
ずいぶん小さなヤモリも現れた。さては、家族がいたのか?
気になっている。
青空
山を崩し、川を氾濫させ、家を壊し、稲をなぎ倒し、おおぜいの人を泣かせて嵐が過ぎて行った。
小さなわが家は木立の中にある。
暴風雨に木々が騒ぐのが恐ろしく、一晩眠れぬ夜を過ごしたけれど、夜が明けてみれば、大小の枝や葉がおびただしく散乱しただけですんだ。
嵐のあとは青空が続いている。
青空になってもなお、枝や葉が落ちてくる。密集している木々の枝に引っ掛かっていたものが、風が吹けばパラパラと落ちてくる。
青空の下で小学校の運動会が行われた。
隣家のこどもたちの奮闘ぶりを見に出かけた。
母校である。創立140周年を迎えたと放送されている。
半世紀以上も前、わたしが通っていた当時は1学年に2クラスあった。3クラスの学年もあった。クラスには40人、いやいやもっと多かったか?
いま、児童数は160人に満たず、どの学年も1クラスだそうだ。
運動場がたっぷりと広いせいか、こどもたちが少ないからか、駆けたりダンスをする姿が遠くに見える。
クニクニとかわいく腰を振ってダンスをする隣家のことちゃんを見つけた。
秋、青空、踊るこどもたち。ちょっと幸せな気分になった。
身勝手
久しぶりの青空に、空を見上げて綿のような雲、うろこのような雲、飛行機雲が尾のように延びていく様子にも感動した。
翌日は一片の雲もない青空。昨日に増して晴れやかな気分になった。
三日め、四日めも晴れの上天気。
なんということ。気分が晴れない。
暑い。
もういなくなったかと思っていた油蝉が、ツクツクホーシを抑えて声を振り絞るかのように鳴く。
校庭では応援合戦の練習中のようだ。元気な声が届いてくるが、暑かろう?大変だねと思ってしまう。
残暑が厳しい。青空と太陽がうらめしい。
年齢のせいか?
身勝手なこと。青空をあんなに喜んだのに。
ああ、やっと秋の風。
9月9日、紙障子に朝日が。何日ぶりのことだろう。
もう9月。初めての秋の陽射し。
空が青い。雲が白い。綿を薄く引いたような雲。もあもあとうろこのような雲。飛行機雲。
長い雨日和にたっぷりと水分を含んだ木々の、幹も葉もいきいきとして鮮やかだ。
ああ、やっと秋の風。秋の空。
風に乗って歓声がやってくる。校庭で運動会の練習が始まっているのか?
オーシツクツク つくづく惜しいと法師蝉が夏の終わりを告げる。
竜巻?
照れば炎暑、灼熱。降れば豪雨、洪水。風は竜巻、つむじ風。
まったく、この夏の天気は激しく凄まじい。
雨の予報があったので折りたたみ傘をバッグに入れて出かけた。
大阪豊中にある民家集落博物館の南部の曲家に展示物を搬入するために。
毎年、ちょうど今頃、場所も同じ南部の曲家で、毛筆で描いた絵やことばなどを展示させてもらっている。
わたしの作品ではない。紙漉き工房どんぶりの家で月に一回、[ことば遊び]という時間を共有している人たちの作品展である。
ことば遊びといいながら、絵を描く人のほうが多い。
ヒロキさんの絵は、色も構図も力強く大胆。
ミカさんはピンクが好きで、つの字、のの字の大小、配置に、いつも一生懸命に取り組む。
セイジさんが地色を塗り、おかあさんが色と季節にあわせて童謡を書かれる。
ジュンくんはカレンダーの数字を書いたり、いろはかるたを書き写したり。
各人各様に絵の具や墨汁を筆につけて、もくもくと筆を運ぶ。
ことば遊びは?
ミカさんのおねえちゃん、ミカさんのおかあさんがもっぱらことばや文字をひとくふうされる。
おねえちゃんの手になれば、春という字はうらうらと春らしく、夏という字はカンカン照りを思わせる。
ヒロキさんのおかあさんも優しい花の絵にことばを添えられる。
サポーターのシオムラさんはいつも水彩の道具一式持参で、繊細な絵を描かれる。
月に一回のことば遊びの時間への飛び入り参加もある。アオバさん、マツモトさん、スズキさん。
参加される人も、迎え入れる人も少しもためらわず、前置きも、説明もなく、空いた椅子に座って、紙を筆を選んで描きはじめる。
どんぶりならではのざっくばらんないいところ。
さて、ここでわたしの役割は…? しばしば自問自答することがある。自答ができないままに年月がたっている。
格別の指導も何もできない。ただ、見て、感心して、賞賛しているだけである。
南部の曲家というすばらしい場所を得て、三回目の展示会になる。大きな茅葺き屋根、板敷きの部屋が展示スペース。
曲家の備品であるイーゼルを立て、作品を置いていく。
ヒロキさんの絵も、ミカさんの字も、セイジさんとおかあさんの合作も、ジュンくんのカレンダーも、この曲家の部屋に置かれるととても映える。
9月6日までの展示である。
夕方、帰宅。曇ってはいたが結局は降らず、折りたたみ傘は使わずであった。
夜、電話があった。
「だいじょうぶですか」。
今日の搬入作業でいっしょだったシオムラさんからだった。
なんのことやら…?
竜巻があったのではないですか?シオムラさんは心配げに尋ねてくださる。
よく理解をしないまま朝になった。
あちらこちらから電話、電話。
心配してくださった方々の多いのに驚いたり喜んだりであった。
わたし自身が一番状況がわかっていなかった。
それから、あれやこれやの情報を集めれば、竜巻かもしれない強風が吹き、丘の上にある温泉施設の駐車場にあった車を持ち上げ移動させ、運転席の人にけがを負わせた。ガラスが割れ、瓦が飛ばされた。
調べが進めば、I地区から丘の上の温泉を通り、Y地区へと続く線上の稲が倒れ、ビニールハウスが吹き飛ばされていた。
I地区の知人によれば、工事現場に運ぶ予定だった仮設トイレが倒れたらしい。
温泉にほど近いわが家の有り様を知っている知人友人たちが、次々と安否を尋ねてくれた。
風が通った道筋は道路を挟んで向かい側であった。
こちら側であったら、桧、桜、椿などの高い木々に囲まれた小さなわが家は、倒木に押しつぶされていたかもしれない。
今朝は朝からリリリ、ジージー、虫の声。
開けた窓を閉め戻し、一枚重ね着をした。
惜しい、つくづく!?
立秋を過ぎてから、ぐんぐんと気温は上昇し、あの日本一の清流を誇る四万十市では41℃を記録した。
各地の気温最高値が年々、上がる。
豪雨もまた、西で東で人びとをおびえさせる。
毎年毎夏、異常気象だと言われるが、このような状態がそのうち、いつもの夏の状態と定まってしまうのだろうか。
が、山里―。
生き物たちはいち早く季節の移ろいを知ってか、蝉の鳴き声が少なくなった。
盆とんぼ(赤とんぼ)がツーと舞い、肩先に止まったりする。
ホーシホーシ、ツクツクホーシ、行く夏をつくづく惜しむか法師蝉が鳴く。
とは言うものの、残暑厳しかった。本日も。
おっ、スイッチョンが床を歩いている。
あのころ
蛇口をひねると井戸水が出てくる。ヒヤッと冷たい。
ゆであげたそうめんを井戸水でギュギュッともみ洗う。
夏休みの昼ごはんは、そうめん、ひやむぎ、畑で熟れたトマトがいつも山盛り。
青臭いというか、お日さん臭いというか、独特のにおいがするトマトが食卓にもおやつにも登場してウンザリだったな―。
ピンクや黄色、緑色の麺が数本混じっているひやむぎのときは、なんとなく楽しい。
昼ごはんのあとは家族みんなで昼寝。たぶん、どこの家でも昼寝。
踏めばギシギシ鳴り、地団駄踏めば破れそうな広―い板の間に寝っころがると、ひんやりとして気持ちがいい。
紙障子も板戸もふすまも、みんな開け放してあるから東西南北、風が吹き抜ける。
おtなたちはゆっくりと昼寝。
こどもたちは昼寝もそこそこに、誘い合わせて水遊びに出かける。ワンピースの下にはもう水着を着こんで。
畑には背の高い葵やひまわり。
ミンミン、ガシャガシャ、蝉が騒ぐ陽射しの中をゴム草履をつっかけて、砂ぼこりに足を白くさせながら、集落の入り口にあるシモノイケまで行く。
池の中、縄で囲まれた区域がある。夏休みの前に父や母がここで遊んでもよいという線引きをしてくれている。
池の畔に沿う道路からは行けない場所である。
ずうっと以前から定められている場所で、道路からは行けない場所に行くには、川を歩いて行くことになっている。
池につながる川の浅瀬を選びながら歩いて行く。
小さなカニや魚を蹴散らすようにザブザブと歩いていけば、もう足はすっかり冷えている。
池に到着。
干上がってできた砂地に服を脱ぎタオルを置いて、そそくさとラジオ体操をやり、池の中へと走り込む。
池の水は冷たくて、すぐに唇が真っ青になった。
大人が付き添うことはなかった。
唇を青ざめさせた子がいたら、上級生が声をかけて水から上がらせた。
浮き輪も持たず、水から出たり入ったりを繰り返し、また川を歩いて家へ帰る。体はすっかり冷えきっている。
あのころ、池や川が遊び場だった。学校にまだまだプールは無かった。
夏の朝 2
雨戸を繰ると、網戸に蝉が数匹くっついている。
この頃はアブラ蝉が多くなった。アブラ蝉ばかり10匹もくっついている。地面にはポツポツ、ポツと幼虫が抜け出た穴が開いている。
ニイニイ蝉からアブラ蝉へと夏の経過を思い、敷居のレールで轢きつぶさなくてよかったと思いながらもうひとつの雨戸を繰れば、雨戸の隙間に蛇が居た。多分、長ーく伸びていたのだろう。ガラガラと雨戸を繰られて仰天したのだろうな…。とぐろを巻いてボール状になった。
自分のものと思えぬ悲鳴が出た。
雷のときも騒いでしまうが、そちらの方がまだ余裕がある声かもしれない。
蛇が怖いわけでもない。見なれている。
けれど、出くわす場所、タイミングによりけりである。
昔、茅葺き屋根の生家では仏壇の隙間に入っていく蛇を見た。蛇は家の守り神だなどと言われては騒ぎ怯える訳にもいかない。
男の子たちは棒っ切れの先に蛇を絡みつかせて、仲間を追いまわしていたなー。
あのとき、逃げながらあげた悲鳴には遊びふざけた声も混じっていた。
蛇が噛みつくわけでない。が、やっぱり幾十年の年を重ねても、やっぱり好もしいものではない。
ムカデに蛇、灯のもとに近づこうとしてか網戸にへばりついて夜を明かす蝉たち。ムカデに似てムカデより脚の長いゲジゲジも雨戸の隙間から這い出してくる。
夏の朝、雨戸を繰るにも油断ならない。
夏の朝
4時半、ひぐらし蝉に起こされた。
ひぐらしだけの斉唱から、やがてニイニイ蝉も加わってニイニイ、カナカナ…にぎやかな朝の歌が響き渡る。
ひぐらしは空が明るくなると鳴き止む。日がな一日鳴き騒ぐニイニイ蝉やアブラ蝉とは異なり、未明に鳴き、空かき曇れば夕立の急襲を告げて鳴き、黄昏が近づくころに鳴く。
夏本番ともなれば、ひぐらしに目を覚まされても二度寝ができるが、今朝はひぐらしが鳴き止むころにムクリ起き出した。
雨戸を繰れば網戸に蝉が4匹くっついていた。つまみとって放すとジッと鳴き、ミッと鳴いて飛び立った。
気まぐれに早朝の林を歩く。
色褪せた紫陽花を切り取ってみる。付くか付かぬかわからないけれど、プスプスと土に挿す。
こんなふうに挿しておくと、たまーに根付いて花も咲く。
きちんと資料を読んで挿し木の時期、肥料のことなど上手に世話をしてやれば成功率も良いのだろうが、気まぐれ気ままにクシャクシャと挿すだけなのでたまに育ってくれるだけ。
早朝のことでさすがにひんやりとして気持ちが良い。
まだ7時前。
近所のFさんが来られた。いつも玄関の取っ手に野菜の入った袋を掛けてメモを入れておいてくださる。今朝に限ってわたしが早起きして戸外に居るのに驚かれたようだ。
手渡された袋には、胡瓜、ピーマン、ミニトマトが入っていた。
朝7時過ぎには近隣の人から電話がかかるし訪れもある。
夏場は7時よりさらに早くなる。
その差、58。
塾のような進学指導はできません、とお断りをしたうえで、小さなこどもたちといわば作文ごっこのようなことをしている。
幼稚園児だった子は、初めのころ、もの字、しの字、まの字などがひっくり返っていた。たの濁点、はの半濁点は左肩についていた。
いま、1学期が終わって、しっかりと字がかけるようになった。
1年生になってピアノを習い始めたとテキストを持って来て見せてくれる。
2年生のNちゃんは以前から書道を習っていて、筆圧もしっかりとした美しい字を書く。わたしよりも格段にうまい。
3年生の男の子たちは、最近、ユーモアたっぷり余裕のある文章も書いてくれる。気分がのれば、であるが。
Jくんは電子辞書をバッグに入れている。作文の途中で漢字がわからないときはまず、わたしに尋ねる。もしも一点一画をまちがえて教えたら申し訳なく恥ずかしいので、辞書を繰って正しい漢字を示そうとする。彼は、あっ!とばかりに電子辞書を取り出す。わたしよりも速く、正しい漢字を引き出したいらしい。彼は漢字に興味があるようで、学年で習うより以上の漢字を知っていて、作文の中にいかすことができている。
ときどき、ちょっと見にはほとんど似ているけれど、ん?何かひっかるという漢字を書く。そんなとき、恥ずかしながらわたしの方に自信がない。目の前で辞書を繰る。この先生たいしたことないなと思ったかどうか、たまに試してくるようなところがある。かわいい挑戦を受けてたっている。
3年生の男の子のおかあさんから電話があった。
「明日、誕生日なので作文が終わるころにケーキを届けます。みんなで食べましょう。このこと、こどもにはナイショです。言わないでください」
作文のチェックをしているとTくんのおかあさんがケーキを両手に掲げて来られた。
ドッキリのイベントに歓声があがった。さらにドッキリだったのは、ケーキにはわたしの名前も書いてあったこと。
電話のとき、明後日がわたしの誕生日なんですよ。ずいぶんの年の差ですけれど、なんて笑ったのだった。
それが、丸いケーキに名前が書かれるなど初めてのこと。
酒場で祝われたことはあるが、丸いケーキが目の前に置かれたことはなかった。
小さなこどもたちと、そのおかあさんたちに幸せな誕生日祝いをしていただいた。
Tくん9歳、わたし67歳。
木かげ
両腕をまわしても指がつなげないほどの木々の中、小さな家に暮らしている。
密生する枝葉に通り道をふさがれてか、家の中へうまい具合の風が入ってこない。戸外の木かげのほうが涼しい。
葉を揺らす風に誘われ外へ出れば、蚊に刺され、ブヨが目に入り、蟻が足を這い上る。
カサリと足元の枝が鳴れば、蛇か?と身構える。身体をきらめかせトカゲが走る。
「緑がいっぱい。うらやましいお住まいですねー」訪問客が口々に言ってくださる。こんな暮らしにあこがれます、と。
そういわれる多くの方々が蛾におびえ、クワガタにも蝉にもさわれない。
「あ、蝉がいます」と頭上の木を見上げるのはいかにも楽しげ。
立ち話をしながら、網戸にしがみついている蝉をつまんでポイと林の中へ投げ込んだら、「わっ、さすがですねー」とおっしゃった。